川越style「菓子屋横丁復興祈願祭と菓子屋横丁復興春まつり」2017年4月15日、16日 | 「小江戸川越STYLE」

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川越の菓子屋横丁で2017年4月15日(土)、16日(日)の2日間、「小江戸川越菓子屋横丁復興春まつり」が開かれました。

時間 11:30~16:30、会場 菓子屋横丁全体

普段から活気のある横丁は、特設ステージでパフォーマンスが行われてさらに賑やかな雰囲気となりました。

■ステージ出演者

・「猿回し」おさるのちいちゃん、

・「歌舞伎マジック」あっぱれ!吉沢屋、

・「川越ピエロ」いちろうくん、

・「紙切り」泉たけし、

・川越発のアイドルグループ川越CLEAR'S。

初日4月15日には、吉仁製菓前で10時半から川越氷川神社の山田宮司を祭祀とした「復興祈願祭」が執り行われ、関係者が参列しました。

両側にそびえる真新しい建物に挟まれ、新しくも昔からあるような佇まいも感じさせる横丁は、今まで以上の賑わいになる予感がひしひしと伝わってくる。

 

 

 

 

 

 

復興祈願祭が無事に終わると、最後に

川越菓子屋横丁会を代表して浜野会長が挨拶。

「川越市の皆さまを始め、沢山の方々のご支援のお陰で素晴らしい菓子屋横丁に生まれ変わる事ができました。これからも伝統あるこの横丁を後世に伝えてゆかなければなりません。安全・安心の元、子どもさんからおじいちゃん・おばあちゃん、色々な方々が楽しくゆっくりと買物して頂く場所として、会員一同、おもてなしの精神の元、頑張って参りますのでどうぞ宜しくお願い致します」。

ようやくここまできました。

関係者は胸を撫でおろしながら、さらに楽しい横丁にしていこうとやる気がみなぎるのだった。

新しく建てられた建物には既にお店が入り、これから完成する建物にもお店が入ることが予定されている。あれから僅か2年でここまで。

菓子屋横丁の力、菓子屋横丁に寄せる川越の街の力を思わずにいられない。。。

 

 

 

 

(菓子屋横丁マップも刷新された)

 

川越の菓子屋横丁は、一番街の蔵造りの町並み、時の鐘、喜多院などと並んで川越を代表するスポットであり、川越人の誇り、心の拠り所として大切にされています。

 

 

 

 

 

環境省の「かおり風景百選」に選ばれた菓子屋横丁は、明治の初期に江戸っ子好みの気取らない駄菓子を作って売り出したのが始まりです。

その後、のれん分けで周囲に菓子屋が増えていき、関東大震災で壊滅的な打撃を受けた東京下町の菓子製造に代わって、一大菓子製造・卸売りの町に発展しました。大正末期から昭和初期にかけては、少なくとも60余軒が軒を連ねていたといわれています。

昭和61年(1986)に菓子屋横丁会が結成された頃には、製造する家は数軒とすっかり寂しくなってしまいましたが、製造と卸売りから小売りに業態を変化させ、石畳による暦みち整備第一号の後押しもあり、人情味が溢れ、素朴で懐かしく、賑わいのある横丁になりました。

 

さらに菓子屋横丁の懐かしい空気に触れるなら、横丁から歩いてほど近く、赤間川を渡ったところにある「もっこ館カフェテラス」さんがお勧め。

お店の裏には「ちょっと昔 くらしの道具小屋」が併設されて、足を踏み入れるとタイムスリップしたかのよう。

展示品は、菓子屋横丁の旧田中屋から譲渡された物を中心に、菓子屋横丁を伝える文化財的遺品が数多く常設されています。入場無料。



 

 


 


 

 
 

田中屋は、栄えていた菓子屋横丁が時代の波に押し流された時期に、抗うように新たに開いたお店でした。復活の象徴のようなお店。

お店が次々に閉まり、シャッター通りと化していた横丁をなんとかまた盛り上げようと田中さんが開いたのが田中屋という駄菓子屋。一つの光が灯ったことでまた人々の注目を集め、復活ののろしとなった。
今の菓子屋横丁を語る上では避けて通れない重要なお店です。

田中さんとはもっこ館カフェテラスの三澤さんはずっと懇意の仲でした。
そのお店も、惜しまれつつ2009年11月15日閉店。
閉店後、店内の片づけをしているその最中に三澤さんは駆け付け、
「捨てないでくれ!」とすぐにトラックで店内のものを引き取ったのだという。
それを大事に保管しておいて、もっこ館カフェテラスの裏に、

田中屋の物を合わせた博物館のような展示室を設けた。
室内は自由に見学することができます。

 

あれから菓子屋横丁は観光地として再び脚光を浴びるようになり、賑わいある横丁として復活を果たしました。

菓子屋横丁の一年に一度のビッグイベントと言えば、菓子屋横丁春まつり。菓子屋横丁春まつりは、3月25日からGWまで続く小江戸川越春まつりの共催事業として行われていて、菓子屋横丁の一角に特設会場を作り、様々な催しが繰り出されるイベントは、毎年春の恒例祭りとなっている。今年は、タイトルに「復興」が入っています。

例年、横丁の風情に合わせるように日本の伝統芸が披露されることが多いイベント。

これも芸と呼べるものでしょうが、菓子屋横丁のマスコットキャラクター的存在が、ピエロのいちろうくん。

今も土日を中心に通りでバルーンアートの実演販売を行っています。

 

 

 

 

(菓子屋横丁のピエロのいちろうくん)

いちろうくんも菓子屋横丁春まつりお馴染みの出演者で、イベントの運営面から支えている。

いちろうくんが菓子屋横丁に姿を見せ始めた時から知っていますが、数年前と今とで生活スタイルが全くと言っていいほど変わっていない。そのぶれない軸、信念が本当に素晴らしい。

今でも一年の半分は東北や熊本の被災地に足を運び、現地を点々とと移動しながら被災した子供たちをバルーンアートやマジックで楽しませている。

そしてもう一年の半分を地元川越で過ごし、今年もGW明けからまた被災地に旅立つ予定なのだそう。

何事も、続ける、ということが難しく、しかし価値があることだとしたら、いちろうくんのような人こそ本物なのだと思う。いちろうくんに会えるのはあと少し、次に会えるのは年末になるでしょうか。

 

菓子屋横丁春まつりでは大道芸が披露されることが多かったですが、
「南京玉すだれ」、「がまの油売り」、「バナナの叩き売り」などは比較的メジャーで見た事がある人も多いでしょうが、
では、こちらの大道芸はどうでしょう・・・
「石立(いしだて)」、
「わいわい天王」、
「一筆龍(いっぴつりゅう)」、
「すたすた坊主」、
「地獄極楽絵解き」、
聞いたことがないものばかりかと思いますが、実はこれらも日本で昔から続く大道芸の名前。これらはほんの一部です。
日本の大道芸は、江戸時代に花開いた文化で、もともとは神社仏閣の参拝者に対して行われていたものだった。
日本には数限りない大道芸がありますが(ありましたが)、継承する者がおらず、ほとんどが絶滅してしまい残るのはごく僅か。
よく知られる南京玉すだれなどでさえ、絶滅の危機にあります。

川越style

 

川越style

 

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(2013年4月菓子屋横丁春まつり)

菓子屋横丁で大道芸人たちが集まっていたのは、横丁で口上売りをしている七色唐がらし屋文七さんの繋がりが大きかった。

以降も春の定番イベントとして菓子屋横丁春まつりは開催されていき、観光客に好評を博していた。そして、2015年。。。

2017年4月、今年のタイトルが今まで違い「復興」と入っていること、初日に「復興祈願祭」が行われたことの理由は、もう言わずもがなかと思いますますが。。。

あれから約2年。

2年というのは長い時間のように思えるし、いや、あの出来事は川越人なら昨日のことのように記憶に刻まれているでしょう。

大きな傷跡になっていつつも、僅か2年で建物が新たに建てられ、お店が入り、元に戻ったことに、この2年という時間には川越の人たちが寄せた大きな思いが詰まっているようだった。

 

2015年6月21日(日)正午頃、菓子屋横丁の北西にある店舗から出火延焼し、一人が亡くなり5棟が全焼・6棟が部分焼するなど大きな被害が出ました。

被災した店々は全焼した自店に呆然としつつも、菓子屋横丁会の浜野会長と相談し、川越市役所や小江戸川越観光協会、川越蔵の会などに協力を呼びかけ、復興に向けて動き出しました。

「元気に営業してます」のポスターの設置。

近隣商店街の川越一番街商業協同組合・川越新富町商店街振興組合・川越昭和の会と菓子屋横丁会で組織している「小江戸川越繁昌会」では、『菓子屋横丁 元気に営業しています 私たちも菓子屋横丁を応援しています』と書かれたポスターを各商店街の中に掲示し、横丁へお客さんが減らないよう協力しました。

それに、市民の動きも早かった。

悲しみに陥りながらも、自分たちの心の財産だと思っていた菓子屋横丁の一部が突然なくなったことに反応した。

菓子屋横丁の復興に何か力になれることはないか、それぞれが模索し始める。火事は決して他人事ではなく、みなが自分事のように捉えているようだった。火事の直後の川越市民一体となった「菓子屋横丁をなんとかしないと!」といううねりは、今まで経験したことがないような、大きく、熱いものでした。

失って改めて、自分たちが大切に思っていたものの大きさを知るようだった。

懐かしく温かい雰囲気の横丁としてメディアに取り上げられることが多かった菓子屋横丁が、残念ながら逆の姿で全国に発信されたことに心を痛め、なんとかしたいと余計に突き動かされるという側面もあるようでした。

川越が一体となって、菓子屋横丁の復興へ。

合言葉は、

 

「この逆境を乗り越えて、さらに魅力ある横丁に!」。

 

各店舗の再建や横丁の復興に向けた話し合いが、火災の約一週間後の7月2日から早速始まりました。

この火災に落ち込んでばかりいられません。観光客が多く訪れる蔵造りの町並みが残る一番街も、明治26年の川越大火で建物が消失したことを教訓に、耐火性に優れた土蔵建物を採用したのが始まりです。

今回消失したエリアでも、「自分たちの建物の再建だけでなく、これを機にもっと魅力のある菓子屋横丁らいいエリアにしていこう」という意見が出されました。

以前市役所で伝統的建造物の保存や都市デザインなどに携わってきた加藤さん(現在小江戸川越観光協会事務局長)、まちづくりNPO団体の川越蔵の会、不動産や建設の実務を行っている藤崎さんにコーディネートしてもらい、隔週ぐらいのペースで話し合いを進めてきました。

瓦礫の処理の問題、再建費用の問題、敷地境界の問題などの具体的な問題についての議論の他、横丁らしさとは何か、町並みをどうやって創っていくのかなどの再建ビジョンや景観形成のルールの勉強をして共有認識を図り、通り抜けなどの豊かな空間演出方法や設計レベルでの外観の在り方などを議論しました。また、横丁にとって効果的な義援金の活用方法なども話し合われました。

菓子屋横丁会としても、一番街の伝統的建造物群保存地区の「川越町並み委員会」にならって、新築や改築、看板の設置、意匠の変更などの際に、相談・協議できるように定款の変更を行いました。月に一回程のペースになりましたが、この相談・協議の委員会は現在も続けられています。

 

2015年9月。倒壊した建物、瓦礫などが撤去され、更地となった被災地。その中でも、被災したお店は、テントを立て、お菓子を並べ、臨時営業をすぐに始めていたのでした。

 

 


 

2016年2月。工事が始まっていき、徐々に復興のスピードが上がっていく。横丁では七色唐がらし屋文七さんも、それまでと同じ場所で販売を続けていました。










黒胡麻、陳皮(ちんぴ)、焼き唐辛子、粉山椒、唐辛子、ケシの実、麻の実の7つのスパイスを目の前で調合してくれる。売り口上も目玉。
『まず最初に入れますのは武州川越の名産、黒胡麻
紀州は有田のミカンの皮、これを一名、陳皮と申します
江戸は内藤新宿八つ房の焼き唐辛子
東海道静岡は朝倉名産、粉山椒
四国高松の名産は唐辛子の粉、大辛中辛を決めて参ります
大和の国はケシの実が入ります
最後に野州日光、麻の実が入りまして七色唐辛子』



 

2016年2月、横丁の一角に、「焼き菓子komugi」さんがオープンしました。菓子屋横丁が復興に進む中、新たにお菓子屋さんがオープンするという明るいニュースに包まれました。

 

(「焼き菓子komugi」菓子屋横丁に新しい焼き菓子屋さん

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12129963188.html

 

2016年3月。県道沿いの稲葉屋さんの建物が着々と建てられていく。



 

2016年6月。稲葉屋さんの県道側の建物がほぼ完成、翌7月に再オープンしたのでした。


 

2016年9月。県道側入り口、吉仁製菓さんの建物も完成間近、その後2016年12月に再オープンしました。

 

2017年4月。

火災から約1年10ヶ月経った現在、ほぼ全ての建物が再建されました。非常に急ピッチでしたが、多くの人の協力を得て、菓子屋横丁らしい町並みを創ることができたのではないかと思います。

 

 

川越市の協力。

川越市も、重要な市内観光地の一つである菓子屋横丁での火災ということで重く受け止め、被災者への見舞金や弔慰金の支出などの他、県道へ倒壊の恐れのあった建物の一部の除去や瓦礫の撤去にかかる車輛乗り入れの調整など、観光課を中心に対応しました。

市議会においても、平成27年6月30日の市議会最終日において、菓子屋横丁の復興と防火対策を強く求める決議が採択されました。

そのような動きの中、平成27年9月には、観光エリアの防災面の強化と、継続的な観光振興を図るための基金として「川越市みんなで支える観光基金」が設置されました。

 

屋外消火栓の設置。

「川越市みんなで支える観光基金」を活用した事業として、菓子屋横丁全域を放水範囲とする「簡易型屋外消火栓」が設置されました。

菓子屋横丁としても、消火栓やホース格納庫を設置するための場所として、会員の敷地の使用を無償で提供するなどの協力をしました。

平成28年4月27日には、設置された消火栓の操作説明を兼ねた訓練が行われ、元町2丁目自治会及び菓子屋横丁会から20人以上が参加しました。

(天水桶も設置された)

 

「菓子屋横丁通り線」の再舗装。

川越市が平成2年に歴史的地区環境整備街路事業(通称:暦みち)として最初に石畳舗装したのが、北側の県道から東側の寺町通りまでをくの字に通り抜ける「菓子屋横丁通り線」でした。整備にあたっては、大きめの石板と小舗石の規則性の少ない配石の技や、菓子屋横丁の代表的な菓子である「飴」をイメージしたガラスブロックを埋め込むことによって、軽やかで賑わいのある通りの特徴を表しています。

それらの石材やガラスブロックも、火災によって表面が割れてしまったり熱で変色するなどの大きな被害を受けました。

川越市は、多くの歩行者が行き交う「菓子屋横丁通り線」の安全性を考慮し、店舗の再建の時期に合わせて被害のあった北側約20メートルの再舗装工事を行いました。再舗装にあたっては、ガラスブロックなどの現在では使用が難しい材料などは見直しつつ、これまでのイメージを変えないよう、石材の色などで工夫しています。工事の方法や時期については、関係者と何度も話し合い、細かい調整が行われました。

 

義援金について。

川越市自治会連合会が市内286自治会を通じて市民に義援金を呼びかけ、「川越のシンボルとして復興する為に使って欲しい」と、1139蔓円が集まりました。その他を含め、菓子屋横丁会に合計約1300万円もの義援金が集まり、菓子屋横丁の復興のために、以下の通り、全額を活用しました。

・被災された店舗や住宅への見舞金

・防犯カメラ・街路灯・天水桶・看板・地図の設置

・復興イベントの開催

(街路灯の設置)

 

そしてあれから2年、建物が全て建てられたことで、2017年4月15日復興祈願祭が行われたのでした。

 

 

 

復興祈願祭が無事に終わると、4月15日と16日の二日間に亘って開催されたのが、「小江戸川越菓子屋横丁復興春まつり」。

春まつりの目玉と言えば、なんと言ってもステージパフォーマンス。

寺町通り沿いに、ステージが2ヵ所特設され、次々に華麗なパフォーマンスが登場しました。

・「猿回し」おさるのちいちゃん、

・「歌舞伎マジック」あっぱれ!吉沢屋、

・「川越ピエロ」いちろうくん、

・「紙切り」泉たけし、

・川越発のアイドルグループ川越CLEAR'S。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川越市のマスコットキャラクター「ときも」も、菓子屋横丁の復興を後押ししようと応援に駆けつけていた。

「楽しい菓子屋横丁、ぜひお越しください♪」とジェチャーで伝えているようでした。

 

さらに、 「駕籠(かご)かき岡田屋」さんが駕籠を担ぎ体験を実施。

菓子屋横丁会の浜野会長も駕籠に揺られていました。

16日には早稲田ちんどん研究会も参加し、横丁に華を添えました。

 

 

二日間、晴天に恵まれた菓子屋横丁復興春まつり。まるでこれからの前途を祝しているようで、大いに賑わいました。

このイベントからしばらくすると、川越が一年で特に活気に溢れるゴールデンウィークを迎えます。きっとそのタイミングで新生菓子屋横丁に来られる人も多いでしょう。

さらに楽しく、さらに魅力的になっていく、菓子屋横丁の新たな船出を見守ってください。