よいお年を! | korochanのつぶやき。

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気になる記事や心境を独り言としてログ(記録)しているモバイル日記


大晦日です。

今年一年 お世話になりました。

来年も よろしくお願い致します。

来年は素敵な1年にしましょうね

「今日はJAXAの新しい実験“DEWEY FOREST”を設置。映画 “silent running”から採った名前です。JEMの窓際に小さな庭園が出来ました。これから毎日植物の成長をみるのが楽しみです。」

宇宙飛行士 野口さんが
宇宙からtwitterされた呟きです。

宇宙に庭園を作る。
宇宙での成長を見守る。
偉大な自然の力。地球の生命の力。

野口さんは「今」の地球を
呟きます。重い呟きです。

今年、最後の私のプログからの呟きは

野口さんの呟きにもあった
映画 サイレントランニングのあらすじを紹介するとともに
来年からどう過ごすべきか?
のヒント盛りだくさんの映画の紹介です。
野口さんが宇宙からtwitterで
お勧めの映画を是非観てみましょう。

それでは良い年越しが出来ます事を心より願っています。

みなさん。よいお年を!




『サイレント・ランニング』【SILENT RUNNING(軍事用語:敵の探知を避けるため電気系統を切って密かに航海すること)】

あらすじ

【そう遠くない未来、太陽系の宇宙空間。
地球に青空も川も、1本の木も植物も野菜も花も家畜もなくなって久しく、
地球の再緑化計画の研究のため、
3隻の宇宙船に接続されたミニ・コロニーで幾つかの庭サイズの小さな森を育てている。森にはウサギや鳥たちもいて、人工の川も畑もある。

その中の一隻、ヴァレー・フォージ号には乗組員が四人。
植物学者で、地球の再緑化研究に燃え、動植物をこよなく愛する青年、ローウェル、
そして、そんな彼を嘲笑っており、早く地球に帰還したくてたまらないウルフ、バーカー、キーナン。

かれこれ、地球を離れて8年。人工的な食べ物しか知らず、土の中でできた野菜など気持ち悪くて食べられない現代っ子のウルフら3人が、閉ざされた空間に苛立って帰還を願うのも無理もないことだった。

そんな3人を尻目にうっとりと閉ざされたサンクチュアリの中で過ごしていたローウェルに、絶望的な命令が地球から届く。

すべての森林コロニーを宇宙船から切り離し、核爆破処分し、地球に帰還せよ、
地球再緑化計画は廃案になった、というのである・・・・。

手塩にかけた森を破壊して棄てろというのか。
嬉々として爆破の準備を進める3人。他の2隻も次々に爆破作業を進めてゆく。
暗い宇宙空間に閃光が・・・・。

ヴァレー・フォージ号も、幾つかあるコロニーを切り離し爆破しはじめた。
最後の1つになった森に爆弾を持ってきた仲間ともみ合いになり、殺してしまうローウェル。

ローウェルの中で何かが壊れた。残りの2人も、コロニーごと宇宙空間に吹き飛ばし
殺してしまったのだ。

1つだけ森林コロニーをくっつけたまま、ヴァレー・フォージ号で逃走を試みるローウェル・・・。
舵を失った船は土星のほうへ流されてゆく。太陽系の果てへ、果てへ・・・。

ローウェルは不安と孤独に耐えきれず、三体のロボット、ドローン1号~3号に
ヒューイ、デューイ、ルーイ(ドナルドダックの甥っ子たちの名前)とつけ、
我が子のように可愛がり、プログラムを改造して遊び相手にし、また、植物の世話も仕込むのだった。

だが、事故が続き、ルーイを失い、デューイも半壊してあまり動けなくなってしまう・・・。

そして、ローウェルを焦燥のどん底に突き落とす事態が。
森が、枯れてゆく・・・!!
そう、太陽からあまりにも離れすぎてしまったせいだ。

解決法を見つけほっとしたのもつかの間、ありがた迷惑なことに難破船状態の
ヴァレー・フォージ号が地球からの救助隊に発見されてしまった。

もはや、ここまでか・・・・・。
ローウェルはある決意を固める。]

●この映画のコメントを集めてみました。私の意見ではありませんので、御了承下さい。


ベトナム戦争終結の頃、70年代初頭。
暴力の歴史への猛省を、そして見えない未来への不安を込めて。

マイケル・チミノが脚本に参加しているだけあって、やや感傷的。
でもそこがこの映画の魅力な気がする。

人にはそれぞれ優先順位がある。
自分の命>家族・他人の命>金銭や宝物類、あるいは誇り
というのが人類にとって一般的な順位な気がするが、
当然、人がロボットとは違い人である所以は、個性だ。

誇りや名誉のために死ぬ人、友や家族のために自らの命を捨てる人、
宝物を守るためには命など惜しくない人。

この映画の主人公は、「人命は地球より重い」という通念とは違った価値観を持っていた。
いや、それはあまりに乱暴か。
正確にいえば、「人命と天秤にかけられるような価値を持つものなど地球上にはない」という通念とは違った、だ。

彼は天秤にかけた。
もう、地球には残っていない「緑」を再生させる可能性を持つ“唯一の可能性の種”と、無数にいる人類のうち3人の友達未満、仕事仲間以上の3人の命を。

結果、彼は失った。3人の命と、そして、“希望の種”を地球に持ち帰る術を・・・。

なんと皮肉なことか。
いつのまにか、彼は「地球を緑の星に再生すること」という人類の救世主になることはなく、
自分が創造主であるあの箱庭の森を守るという小さな王になってしまった。

この映画の秀逸なところは、その彼を愚か者とも狂人とも描かないところだろう。
ひたすらに哀れに描き出す。
その哀れさを倍増させるのが、なんとも愛らしい二足歩行のロボットたちだ。
ドローン1号~3号(3号は早い時期に消滅してしまうが)、どうりで
人間くさいと思ったら、肢体に障害のある役者がかぶりものをして演じているようだ。キャストに名前が乗っている。

ヒューイ、デューイとはうまいネーミング。何かに似てると思ったら、
アヒルだ。まさにドナルドダックのいたずら甥っ子たちのよう。
背の低い郵便ポストから2本足が生えているカタチを想像していただければ・・・。

感情もミスもないはずのロボットをドジで感情豊かに描き、理性的であるはずの人間を感情的に描き暴走させる演出の巧みさ。

人工の光と水で、プログラムされた「愛」で機械的に世話をされ、細々と当面の間、生き続け漂流し続けるであろうあの小さな球に詰まった命。
永遠ではない、不確かな永い未来。それはそのまま、小さな地球かもしれない。

不安漂う70年代の1つの象徴のような気もする。
その不安は解消されないまま、80年代に突入し、砂漠化はその後も進み、
「自然」は人間が保護して再生せねばならないものになりつづけ、
当時はSFだったことがフィクションではなくなる危惧を抱えたまま、新世紀を迎えた。

自然が自然であるための最大の障害が人類だという痛烈なラスト。

自然を守れ!と主張するために大量の紙でチラシや本をつくり、
電気のない世界では生きられないことを自認しつつ、
後ろめたさとむずがゆさを自覚しながらエコロジストであろうとする矛盾を
現代の我々は抱え続けている。

友を殺してしまってはじめて孤独に怯える主人公。
消滅させてしまわないと自然の大切さがわからない人類。
映画では、主人公以外の人類は、すでに自然を復活させる必然性すら見失っている。
酸素がなくなり人類が滅ぶときになってやっと失ったものの大きさに絶望するしかない愚かな生き物・・・。

可愛らしい絵の描かれたブリキのひしゃげたじょうろで
植物に水をやり続ける1人ぼっちのロボット。兄弟も主も失って。
なんとも痛々しく悲壮感漂う映像が忘れられない。

「サイレント・ランニング
今、昔、狂気と言われたSFは野口さんの手で現実になろうとしている。」