第九十六回 見知らぬ犬 | マタタビ堂  

第九十六回 見知らぬ犬

はるかモンタナの空の下からこんにちは。


いいえ、久しぶりに時間があるのでここは


ネスカフェです。


ハロー。ご機嫌いかがですか?


僕は先ほど歯科医院に出向いてきました。


最近の麻酔薬ってすごいですね。


塗るやつです。それから麻痺したうえで


ちくりと注射です。


彼女と歯医者さんがチェーンソー持ち出したら


怖いよねと話していましたが


幸いそんなことはなく、ゴリゴリする先端のドリルで


ゴリゴリされました。


「もーこりごり」


・・・・・・・・・・。


・・・・・・・・てへ。


いらっとしないでください。そんなわけで


僕は肉体的に今不完全な状態です。


右奥の歯に仮の詰め物を施されているわけですから。


ですから不完全な内容になっても許してくださいね。


今日はよか天気ですね。


こんな日は他所へ旅立とうかと思います。


おたくは週末どのように過ごされますか?


できれば楽しめたらいいですね。


せっかくそこそこ平和な日本に生まれたんですから


ツイてるほうだと思います。


そりゃまあやなことはうんざりするほどありますが


そこはやりくりでしょう。


元気を出して楽しんでください。


どうせ更新されねえやと書いた「ギャング物語」が


公然と公開されてしまってうろたえている昨今です。


削除するには偲びないしですね。


なんだかメンテナンスも延長されるそうです。


「機械関係」もさぞ大変な仕事だとお察しします。


「人間関係」だってややこしいことこのうえないって


いうのに。


愚痴はやめましょう。


隣の席で居眠りしている営業マンの鼾がすさまじいなか


ぼちぼち語らせてもらいます。


懐かしいなあ。引越し前はPC使えなくて


ここにきて夜中カチャカチャキーボード叩いてました。


いやはや年月の過ぎるのは早いものですね。


そういっているうちにわれわれはいつしか土くれになって


再生し、何度も輪廻を繰り返していつぞやのどこそこの


場所に着地してるんですね。


といいつつ輪廻なんかあんまりピンときませんが。


「帰らぬ友が残した夢の跡が、今は俺の胸に宿る」


ですね。


今から僕が行く場所はまさしく「せつない胸に風が」吹いてそうな


ところです。


しばらくのんびりしてきます。


「是清っていったっけ?おたくいつものんびりしてんじゃん」


というお言葉は謹んでお受けいたします。


行ってきます。


・・・・・・・・。


まだ、時間がある。間が悪い僕ですいません。


面接受けた話でもしましょうか。


僕はこれまでバイトも含めて三十あまりの面接を


受けました。


面接なんて生涯で一つや二つ受ければ十分なので


すが、最近はそうもいってられないご時世という


やつです。


三十なんて全然少ないほうかもしれまんせんね。


学生の時服飾メーカーのチェーン店の面接を受けました。


友人が彼女とヨーロッパあたりをまわりたい、というきわめて


アバウトかつ軟派な動機からついでに僕も受けること


になったわけであります。


その前に僕はコンビニのバイトをやってましたが


いろんなバイト経験こそ学生の本分だと思ったので


参加することにしたんです。


まだるっこい晩夏のことです。


友人の乗るスカイラインはエアコンが壊れて


窓開けっ放しでした。


みんなそんな車しか乗っちゃいなかったです。


求人広告のきれっぱしをもって


お店に到着すると奥の部屋に通されました。


二、三質問をのたまりました。


「茶髪はどうにかなりますか?」


「ピアスははずしてもらえますか?」


「サンダルで来るとはどういう了見ですか?」


「水曜日の午後しかでれないとは冗談ですか?」


「うちは東証一部上場企業なのです。わかりましたか?」


はい。


頷いて早々に退散しました。


当然ながら地球の隅においやられた気分です。


それがこの常識的な世界の序の口であるというのは


いくら僕らでも薄々わかっていましたが


どれもこれもまだ先のことだという感覚がありました。


友人の家で気晴らしにビールでも飲もうという


話になり帰ってくると、彼の妹がふためいて


玄関から出てきます。


「サチコが逃げた」


そう言います。友人は舌打ちします。


「あの馬鹿犬」


しかたなくわれわれはそのまま車でそこいらを


巡回することになりました。


友人がかけていたハードロックのボリュームを


あげます。


なんでも彼の車の音を聞きつけて吼える習性が


あるらしいのです。


晩夏の町に夕暮れが差し迫ってきました。


近くの神社や、踏み切りあたり(こんなとこにいるはずもな


のに)一応探してまわります。


田んぼ道を徐行していると前から泥をはねちらし


ながらトラクターがやってきました。


友人は車を路肩に寄せて道を譲ります。


と、脇を通りかかったトラクターに


「サチコがまた逃げた」


と叫びます。


彼の祖父でした。


「おう?」


「犬が逃げた」


「おう?」


「犬が、逃げたって」


「ほうか」


トラクターはそのまま行ってしまいます。


「喉渇いたな」


友人が言いました。


「喉渇いたよ」


小学校の近くにある駄菓子屋の自動販売機に


向かうことにしました。


用水路脇の通学路に差し掛かると赤いランドセルが


ちらほら目につきました。


「ん?あれじゃねえのか?」


僕は子供らに取り巻かれている雑種犬を


見て言いました。


友人が身を乗り出します。


「なっちゃいねえな」


舌打ちします。何がなっちゃいねえのか


よくわかりませんでしたが


「まったくなっちゃいねえよお前の犬」


とあうずちを返します。


友人は車を止めて、あきらかに警戒してみあげている


子供たちのそばで、給食の残りなのかコッペパンに


食らいついている犬の首を掴み、ひきずるように


後部座席に押し込みました。


「かあー、くせえ」


車をUターンさせます。


犬はしばらく開いた窓に前足を乗せて


短かかった冒険に思いをはせるように窓の外を


眺めています。


だいぶ陽が傾き、一面の田んぼが夕日に照り燃える


頃、遮断機が下りた踏み切りの前で車が止りました。


バックミラーを見ると、犬がシートの上に


ねそべり、長い舌を出していました。


「喉渇いたな」

 

と友人がつぶやきました。


今日の一言


       「ああ、どこまでも、どこまでも、この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる」


                                                見知らぬ犬