第九十三回 ONE DAY | マタタビ堂  

第九十三回 ONE DAY

よくある涙のストーリー、是清です。


歯医者にレッツゴーしてきたところです。


只今ウワッ唇が腫れているので、今日はやわに


書かせてもらいます。


先日のことでした。


A地点からB地点向かう道すがら


一人の手押し車を押した老婆に話かけられました。


「おばあさん、それはこの道をこれこれこういう風に


行ったところにありますですよ」


なかなか親切なところのある己は、道を説明し


それから親切をしたことで少し気分がよくなって


コンビニまで歩きました。


僕は子供の時分、テレビの影響で僕が生まれる前の


世界には色がなかったのだと思っていました。


モノクロの世界ですね。


最近「機械関係」の技術が発達して


モノクロフィルムにカラーを施し映像化するという


離れ業をやってのけてくれたりします。


僕の好きな画家にえんぴつの緻密な点描を施す


名前度忘れ氏がいます。


大学の時だったでしょうか。


やることもなくなすこともなさず、県立図書館にふらふら


吸い込まれていった僕が、たまたま手にとったのが


その画集でありました。


僕はそれを借りて大学に戻り、薄暗い三号館の食堂で


260円のかきこみ丼を食べながらぺらぺらとめくって


みました。


不思議な空間ではありました。


登場人物たちの顔はどれものっぺりとした


無表情で、想像上の生き物たちが


飛び交っています。


「へえ」


と思いつつ、かきこみ丼はほとんど手付かずのまま


いつしかその絵にのめりこんでいるという按配です。


僕はそれが気に入って時々借りては


車の助手席に置いて、渋滞や信号待ちの時


ちらちらめくって眺めたりしたものであります。


その画家はほとんど無名でありまして


日頃絵を描く以外は近所の酒場でギターを


弾いて歌っているお爺さんというから


なんとまあ素敵です。


そう言う風にして生活費を稼ぎ、好きな絵を


描く。一見奔放な感じではありますが


その点描に関しては数ミリのミスも


許されず、下書きなしでぶっつけの作業になる


らしい。


研ぎ澄まされた集中力と、明確なイメージを


必要する仕事なのであります。


我々が知覚する世界とは別の場所にたしかに


そういう空間がある、と見ていてなんだか懐かしく


もあり、少し怖くもあり、神秘な感じもする。


僕は学食をでると曇り空の下、テラスに出て


倒れている椅子を起こして座ります。


そこからは中庭の芝生が見えます。


老いた桜の木が見えます。


とっくに講義がはじまっていて


えらく静かです。


いつしか長い時が過ぎ


バサバサ羽ばたき枝に飛来する鴉の音で


はっとわれに帰り、僕は立ち上がります。


それから溜まり場の部室に向かって


おぼつかない足取りで芝生を横切りながら


誰かに話し掛けたい気分になります。


今日の一言


        「南の風は 俺にどう言うの?」


                          ONE DAY