1998年に急死した

ロックバンド・X JAPANのギタリスト、hideさん(享年33)の十三回忌法要が命日の2日、東京・築地本願寺にて営まれ、メンバーのYOSHIKIが参列後、報道陣を集めて緊急会見を開いた
50歳からデキルコト・・・?!
YOSHIKIは8月中旬に横浜・日産スタジアムで“本当の復活ライブ”と銘打った公演を行うことを発表。「野外でやりたかった。昔、イベントとかでも野外でやってたので、初心に帰るという意味で」と意気込みを語り、hideさんを「永遠の友達で、戦友です」と生涯メンバーであることを強調した。

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1998年5月1日、hideはSpread Beaverのメンバーと共に音楽番組「ロケットパンチ!」の収録を行う。その打ち上げ後、日付をまたいで更に飲み、泥酔したhideは実弟でマネージャーの松本裕士が運転する車で自宅マンションまで送られた。

5月2日朝7時30分頃、hideは自宅マンション寝室のドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態で発見された。その後、病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。
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当日午後3時頃から、一斉に「元X JAPANのギタリストhideが死亡、警視庁は自殺と断定」と速報で報道された。

警視庁が自殺と断定した根拠は、ドアノブにタオルを巻きつけて首を吊った状態で発見されたという状況証拠である。そのためニュースやワイドショーでは自殺したものと扱われた。

当初から事故死だったのではないかという見方が出ていた。hideの自室には遺書がなかった事、死去前に自殺するような印象を残していなかった事、直前にも自殺を感じさせる兆候はなかったと証言されている事、生前のインタビュー、死去の数日前にhideが都内に建てるスタジオの土地の仮契約をしていた事、などといった理由がこれに関連する。
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『ピンクスパイダー』の一連の歌詞について「自殺」と関連付けられる説もあるが、これについてはhide自身が雑誌等で「『ピンクスパイダー』の歌詞は『世の中そんなに甘くはない』という挫折と失敗を表した歌。『若いうちは後先考えず突き進め』というメッセージを込めた『ROCKET DIVE』、『人間何度でもやり直せる』という再生・再起の意味を込めた『ever free』と合わせて3部作の1つとして聴いて欲しい」と語るなど、死を意図したものとは位置付けられていない。

後に発表された松本裕士の見解は、「ギタリストである彼は、職業柄肩こりが激しく眠れない事もあったほどで、タオルなどで肩を吊ってマッサージしていたという。これは、スポーツ選手などがよくやる牽引(タオルを首にかけて引っ張る方法)である。死去直前の5月2日未明まで酒を飲んでおり泥酔状態でそれをしてしまった為、そのまま眠ってしまい、結果事故死した」というものである。事実、彼の亡くなる数時間前に撮影された「ロケットパンチ」でのインタビュー中、(ギターのストラップのあたる左肩が痛いのか)特に左肩を揉むしぐさを頻繁にしている。警察の発表した「自殺」に対して、hideの死去は主にファンの間では「不慮の事故死」
YOSHIKIは「彼は自殺するような人間ではない」死去後に時間が経過してからは、テレビなどでhideを取り上げる際には「自殺」、「事故死」という言葉を使わず、「急死」または「急逝」とされている。その理由は「自殺、事故どちらも断定するには曖昧であるから」とされる。

深夜、X JAPANの東京ドームライブ(1997年12月31日)の特別番組が放送された。
http://www.youtube.com/watch?v=P1JB0-n8J8Y

法名「秀徳院釋慈音」(しゅうとくいん しゃくじおん)。遺骨は四十九日法要をもって、神奈川県三浦市の三浦霊園に納骨され、一部はロサンゼルスの海に当時のzilchのメンバーや松本裕士によって散骨されている。
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hideの墓には大きく『hide』の文字が書かれており、今でもファンによる多くの献花が飾られている。また、墓石には愛用のギターを模したレリーフの隣に事実上遺作となった『HURRY GO ROUND』の歌詞と両親から息子へのメッセージが刻まれているほか、記帳用のノートも設置されている。なお、墓にはファンによる墓地の荒廃を防ぐために松本家からの注意書きも設置されており、献花は包装をはがすこと、線香を束であげない、水、酒などの液体を墓石にかけないといったルールが記されている