2月から3月の半ば頃に、立春~春分の間で、その年に初めて吹く南寄り(東南東~西南西)の強い風の事だせそうです。春一番が吹いた日は気温が上昇し、翌日は西高東低の冬型の気圧配置となり、寒さが戻ることが多いそうです。
一雨毎に・・・春に近付いて春の風の春一番
毎年 季節は、めぐり 巡り 巡って来るけれども季節だけれども その時々で心持の受けようが。(´д`lll) 変わって受け止める時の心がうきうきしていたり 人を(/_;)/~~見送ったような後のただ何となく淋しく感じるようだったり 肉親との(_ _。)別れで失った時の事とかが重なって哀しく想われたり 春は華やかなほど 人恋しくなっていたりする時も遭ったりしてしまう時もありました。
春一番の風が木々の枝に提灯も揺れていました。三月も半ばを過ぎて姑の命日の30日が・・・・・・玉串川沿いのさくらまだ蕾みかたしのようです。姑の命日頃には、さくらの花も咲いて満開近しそれとも・・・花散らしの花冷えの雨風が吹いて葉桜に・・・(?_?)
春一番
雪がとけて川になって 流れて行きます
つくしの子が恥ずかしげに 顔を出します
もうすぐ春ですねえ
ちょっと気どってみませんか
風が吹いて暖かさを 運んできました
どこかの子が隣の子を 迎えにきました
もうすぐ春ですねえ
彼をさそってみませんか
泣いてばかりいたって 幸せはこないから
重いコートぬいで でかけませんか
もうすぐ春ですねえ 恋をしてみませんか
http://www.youtube.com/watch?v=v_3bdfGHuG4
気象庁
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/jma-magazine/0302/index.html
「春一番」の語源
石川県能登地方や三重県志摩地方以西で昔から用いられたという例を挙げ、諸説があるとしつつ、安政6年(1859年)2月13日、長崎県壱岐郡郷ノ浦町(現・壱岐市)の漁師が出漁中、おりからの強風によって船が転覆し、53人の死者を出して以降、漁師らがこの強い南風を「春一」または「春一番」と呼ぶようになったと紹介している。
長崎県では、この事件以前から郷ノ浦町で「春一」と呼ばれていたものが、事件をきっかけに広く知られるようになったとしているこの故事により、1987年(昭和62年)に郷ノ浦港近くの元居公園内に「春一番の塔」が建てられている。
民俗学者の宮本常一は研究のため郷ノ浦町を訪れてこの「春一番」をいう語を採集し、1959年(昭和34年)に壱岐で用いられている語として『俳句歳時記』で紹介した。これをきっかけに、「春一番」は新聞などで使われるようになり、一般に広まったとされる。つまり、郷ノ浦町で使われていた「春一」または「春一番」は、この語の初出であるかどうかはともかく、現在広く用いられている「春一番」という語の直接の源であるということになる。なお、「春一番」という語の新聞での初出は、1963年(昭和38年)2月15日の朝日新聞朝刊での「春の突風」という記事であるとされ、このため2月15日は「春一番名付けの日」とされているそうです。