仏像好き? ブログネタ:仏像好き?

仏像好きです。

魅させて貰うと何故だか癒されるような。癒されている心持になっていつの間に( ̄ー ̄)見いってしまっているのです。

子供の頃から色んな神社仏閣に連れて行って貰っていましたので好きです。姑も好きで娘や息子らが女の子男の子小学校の頃位頃までだったでしょうか・・・よく行っていました。札所めぐり 霊場めぐり 昨年も京都に仏像を見に行かせて貰えました。

中宮寺の木造菩薩半跏像
50歳からデキルコト・・・?!

広隆寺の弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)
50歳からデキルコト・・・?!
中宮寺(ちゅうぐうじ)

http://www.horyuji.or.jp/chuguji.htm

奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺に隣接する、聖徳太子ゆかりの寺院である。宗派は聖徳宗に属す。山号を法興山と称し、本尊は如意輪観音、開基(創立者)は聖徳太子とされている。

推古天皇29年(621年)、聖徳太子が母・穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとこうごう)の御所を寺としたと伝える。中宮寺は、現在は法隆寺東院に隣接しているが、創建当初は500メートルほど東にあり、現在地に移転したのは16世紀末頃と推定される。創建当時の中宮寺跡は1963年(昭和38年)に発掘調査が行われ、大阪の四天王寺と同様に、金堂と塔を前後(南北方向)に並べる四天王寺式伽藍に似た配置であったことがわかっている。(講堂、回廊等未確認。)

中宮寺は平安時代以降衰微したが、江戸時代初期の慶長7年(1602年)、慈覚院宮を初代門跡に迎え、以後門跡尼寺(門跡寺院とは、代々皇族、貴族などが住持する格式の高い寺の事だそうです)

山号 法興山
宗派 聖徳宗
本尊 (伝)如意輪観音
創建年 (伝) 推古天皇29年(621年)
開基 (伝)聖徳太子
札所等 聖徳太子霊跡15番
中部尼寺巡り15番
神仏霊場 巡拝の道 第27番
文化財 木造菩薩半跏像・天寿国繍帳残闕
紙製文殊菩薩立像・紙本墨書瑜伽師地論


国宝
木造菩薩半跏像 -本尊。飛鳥時代の作。

広隆寺弥勒菩薩半跏像とよく比較される。寺伝では如意輪観音だが、これは平安時代以降の名称で、当初は弥勒菩薩像として造立されたものと思われる。材質はクスノキ材で、寄木技法による作例としては最古。国宝指定の際の官報告示は単に「木造菩薩半跏像」
天寿国繍帳残闕(てんじゅこくしゅうちょう ざんけつ) - 染織品は、陶磁器、金属製品などに比べて保存がむずかしい。本品は断片 飛鳥時代の染織の遺品として貴重なものだそうです。。現在、奈良国立博物館に寄託。1982年に製作されたレプリカが現在本堂に安置されている。聖徳太子の母、穴穂部間人皇女と聖徳太子の死去を悼んで王妃橘大女郎が多くの采女らとともに造った刺繍、曼荼羅である。もと2帳。その銘は『上宮聖徳法王帝説』
重要文化財
紙製文殊菩薩立像-鎌倉時代の作。

紙張子で造像した珍しい仏像で、日本の重要文化財指定の彫刻のうち「紙製」はこの像のみである。東京国立博物館に寄託。
紙本墨書瑜伽師地論 二巻-奈良時代の作。

刺繍阿弥陀三尊来迎像-鎌倉時代の作。
木彫雨宝童子立像-鎌倉時代の作。