予感 | ブログ

予感

自分の体って自分で分かるって聞くじゃないですか?

例えば、糖分が足りないから体が糖分を欲してるとか、野菜を摂りたがってるんだろうな。とかあると思うんですよね。

自分、ブログでも手術が出来ないかもしれないし、そこじゃないかも知れないと書いたのは、自分でもそう思っていたから。

そこに腫瘍はあるけれども、そこが原因なだけじゃないと思っていたし、その細胞は死んでいないと思っていたから。

結論から言いますと、手術は中止。
そこを切除しても良いけれども、それで治る可能性が50%未満で、原因である可能性が低くなったため、リスクとの兼ね合いで手術はしろといえばするが、勧めないという意向に変わったからです。

まず、その部分が原因であればその細胞は死んでいるはずで、血が通っていないはず。発作時に急な活動をしてそれが邪魔をしているものによって電気を乱反射して発作を起こすはずなのに、そこは死んでいなかった。

そして、PET検査では、ここが切除する場所では無いか。と、別の部位が出てきたわけですが、優先的なのは勿論MRIやMEG。

そこでは、そこには何もないので、たまたまそこが怪しくなっただけ。との判断。

そして、MEGの結果、脳のなかに空洞が複数見られまして、

要するに脳みそがスカスカの脳足りんの状態なわけです。

冗談はさておき、空洞が出来るということは、その周辺にも形成異常がある可能性があるということ。

そして、その中のどれかが原因である可能性はあるけれども、どれが原因か定かに出来なかった。

異常はあるけれども、明確な原因が不確定な状況に戻った。ということです。

治ったわけでもないし、そこを切除しても良いけれども、それで解決にはならないというのは、振り出しに戻った。ということです。

要するに、てんかんは間違いなくあるわけで、その原因を特定したと思ったら検討違いだった。

だけです。

手術が無くなった。

と聞くと、良かった。

なのかもしれないけれども、治る可能性が無くなった。という事実を見るとそれもまた複雑な心境です。

要するにこれから発作という現象とどうやって付き合っていくのか、経過を観察しながら治療するべきところが見つかるのを待つ。

それだけなのです。

前進するという覚悟を決めた中で考えると拍子抜けですし、経過を観察していかないと復帰も出来ませんし、そのタイミングは1ヶ月毎に経過をみて、もしかしたらもうホールには行けないかもしれません。

ただ、頭にある何かがこれから病変して原因が明確になることがあるかもしれません。

悪化して動けなくなるかもしれません。

何も分からない暗闇に舞い戻った。

それだけです。

取りあえず、手術は無くなりました。

という結果の報告であります。