2015.1.27

昨晩に友達と喧嘩をした。いや、議論か。いや、遊びか、戯れか。何だろう。SNS上での話。また馬鹿げている話なのだろうか。近年ではこの手のトラブルが多い気がする。そもそも僕は昔っから「発言でのトラブル」が絶えない。それが切っ掛けで殴られた事もあるし、友達を失ったことも多々。震災時には原発の在り方で友人と議論し、二度と会えない関係に陥った。いずれも顔をあわせた「口頭」での話だが。例外だが、今回もそのパターンなのかもしれないな。口頭では無いのだけれど。僕は「またやっちやった。」そう思う反面、「今そう思うんだから仕方ないよな。」とも思う。詳しい発言内容は省きますが、最近は特に度々「◯◯が苦手だし、◯◯は嫌い。」、それに対して「ですよね~。僕も◯◯苦手です~。」Twitter上でそんな会話で楽しげに盛り上がる人たち見かける。即座に「そうですかー。じゃあ、好きなものは何ですかー?」って会話に混じれば良いのだが、僕はなんだか斜に眺めて過ぎてしまう。何かを「嫌う」事は決して悪くない。その反面何かを「好んでいる」筈だ。なぜそれをさらけ出さない。嫌われるよりも、好かれる方がきっと嬉しいし色々と建設的な筈だ。なんかイジメッコが悪口で盛り上がっている様も、陰険な輩がブツクサ文句言ってる様にも見えた。誰も得しない。幸せにならない。空気がよどむ。そう思ったら僕は凄くムッとした。そして、彼らも一方的な発言なら、僕も一方的に発言だよとTwitter上で発言したものだった。これが原因だったのだと思う。今回の事例でわかったことは、「みんなそれぞれ色んな考えを持ってる。」そういうことだ。しかし、その考えに同調したり尊重するつもりは全く無い。勿論否定はしないが意見は言わせてもらう。そして、僕の考えに同調してもらわなくて勿論構わない。「いいね!」も「お気に入り」も「リツイート」も要らない。僕にも覚悟が有っての思想と発言ですから。それと、これからは「ん!」と思うことがあったら即座に反応して行きたいと思います。またこんな悲しい事が起こらないために。思想を無くしたら僕は本当の嘘つきで卑怯者になってしまう。そして、また会えたら嬉しいです。とても大好きな人だから「ごめんなさい」と言いたいけれど言えません。今日はこんな事ばかり考えていた一日。