2015.1.11

いつの時代からか?僕の乏しい記憶からすると大体15年前位からだろうか、来日するバンドがずば抜けてカッコ良くは「無くなった」のは。カッコいいのはそこそこカッコいいのだが、僕ら日本人と比べて「ずば抜けて」はいない。僕が十代に観てきた外国人は、ずば抜けてパワフルでテクニカルでアイディアに溢れた演奏と楽曲。それに僕は目をキラキラとギラギラと輝かせて観ていた様な気がする。そんなずば抜けたパフォーマンスにオーディエンスも前座の日本人も気づけば一緒になってエキサイトしたものだ。

最近は英語を話す若者も増えてきて、来日アーティストのマイクパフォーマンスに対して間髪いれず反応しているのがうかがえる。僕は全くわからないもんだから「?」となってしまうのだが、とても素晴らしいステージだとその流れで「今夜は最高だ!みんな楽しんでるか?楽しんでけよ!」と勝手に聞こえてきたのを思い出す。きっとまわりの皆も同じ様なものだから同じ様に彼等が何を言ってるのかわからないのだけれど、現場のヒリヒリとした空気感やシリアスなムードを嫌でも肌で感じていたのだろうと思う。

言語の国際化も進んで僕ら日本人の演奏技術も作曲能力も上がったのか?それとも海外らしい表現をより精巧に猿真似出来る様になってしまったから普段から触れ合い過ぎて、なれ聴き飽きてしまったのか。もし後者だとしたら、僕たち日本人が独自に持っていた「らしさ」はどこに消え行ってしまったのだろうか。とても恐ろしいことですね。

そもそもこんな話はくだらないのかも。ロックは海外から来たものなんだから。でも、日本人らしいロックもある筈だ。



最後に…「期待」することは高すぎるハードルを目の前に設置する事と変わらない。
だから、これを越えられる事はあまりない。だから仕方のない事なんです。

それを承知で期待していたい。

でもガッカリは相変わらずします。また「そんなにもだったか!」と思ってしまう出来事がありました。

期待とガッカリはワンセット。

ちなみにこの話は最初の話とは全く無関係の話です。

ガッカリはしたけど関係ない。 このガッカリはわかってた筈。決めたことは終わりまでやるんです。それで僕だけは納得出来るはず。

それでもう終わりにしよう。
今夜に決めました。