カレンダーを眺めておりますと、今頃の時期にちょうど春合宿をやっていた事をふと思い出しましたので、今日は春合宿について書いてみましょう。
以前にも書かせて頂きましたが、毎年12月に代替わりを行いますので、12月から新入生が入って来る4月までの約5ヶ月間は3学年で活動を行う事になります。この時期は大学は1月に後期試験があるのみで後は休み期間中になりますので、公式行事が少なく人数不足の弊害が露見する事は余りありません。
1月の奉納乱舞と2月の節分祭程度でありますが、こちらはとことん人数的に苦しい様であれば、引退したばかりの先代幹部が一兵卒に戻り、新2、3回生に混じり息を切らせながらバックを務めるのであります。
ところがこの春合宿ばかりは人数が少ないと大変であります。合宿ともなれば團旗2組、太鼓2張、その他備品と結構な大荷物でありまして、荷物持ちは最低でも4名はいないと運搬が困難になる訳であります。人数が多いと一人が持つ量も少ないのですが、数が減れば経る程、負担は大きくなり、1ヶ月先に控えた新入生勧誘を頑張らねばならぬと身に沁みて思う次第でございます。
應援團が堅調に活動していた時代でも苦難の時代がございました。30代目團員が全員、退團してしまう事態がその原因なのでありますが、1学年がごっそり抜けますと組織的に様々な弊害が出て参ります。
その後、数年は勧誘も低迷し、春合宿を迎える頃には新幹部~新2回生まで総勢4名という危機的状況を迎えました。荷物は最小限に抑えても、幹部自ら荷物を運ぶ羽目になるのであります。食事に至っては、2回生がセッティングから配膳まで行う訳でありますが、4名ですと旅館が提供する会場はちゃぶ台になってしまい、どこを上座にして團長に座って頂くか、通常であれば悩む必要がない事項で頭を痛めざるを得ない事態が起こったりする訳であります。
そんな苦難の時代を経ながらもその後20年近く、活動が出来たのでありますから、どんな苦難に遭ったとしても必ずや切り抜けられるという良いお手本かと思います。
広報委員会