第一回 KOMOGOMO展オペラ
上演もうすぐ
第1回 KOMOGOMO展オペラ
05月06日 (祝月)
17時会場/18時開演
水上音楽堂(上野恩賜公園 野外ステージ)
※11時より、ステージ横のイベントスペースにて藝大生や 卒業生の作品の展示販売や美味しいドリンク・フードもご提供します。お楽しみに!
今回ブログは倉本幸弘氏の「上野の四季折々に 第二回目」です。
意外な森鷗外さんとオペラや藝大との繋がりを教えてくださいました。
倉本幸弘氏プロフィール:千駄木にある森鷗外記念館の仕事をされている森鷗外記念会常任理
文京区立森鴎外記念館HP : https://moriogai-kinenkan.jp
上野の丘の四季折々に
第二回 初夏、不忍池で…オ・ぺ・ラ
倉本幸弘
このコモゴモ展の会場の近くの不忍池、ハスが若い葉を広げ始め、その間を
縫うようにして水鳥たちが泳ぎ回っています。間も無くハスの蕾が顔を出し始
めます。この池に、早くも夏が訪れようとしています。その一画にある水上音
楽堂において、東京藝術大学の若い有志による「オペラ」が上演されるのだと
聞きました。
「東京藝術大学の若い有志」、「オペラ」と聞くと、私などはすぐに森鷗外のことを思い出します。明治時代、学問、藝術についての知識で、この人に勝る人はいませんでした。昔なら”一人百科事典”、今日なら”一人Wikipedia”、日本に"西洋音楽の知識"を紹介した一人です(一説によると「交響曲」という言葉を作ったのは鷗外だと言われています)。東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)の講師もしていました。軍医であった鷗外さんは軍服を着て授業をしていたそうです。
さて、日本人によるオペラが初めて上演されたのは今から100年以上前の明
治36(1903)年のこと、企画したのは東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学
部)の生徒たちでした。日本はまだ西洋音楽揺籃期、オーケストラの編制もま
まならない頃、どんなにたいへんな試みであったことか。
演目はグルック作「オルフェイス」、伴奏はピアノだけでした(演奏はラファエロ・フォン・ケーベルという人、夏目漱石の「ケーベル先生」という掌編で知られていますね)。
それから10年後、オーケストラの編制もなんとか整い、本格的なオペラを上
演しようという動きが、当時28歳、音楽学校の若き助教授であった本居長世(「七つの子」「赤い靴」「青い目のお人形」などの童謡の作曲者としても知られていますね)を中心に起こりました。同じグルック作「オルフェイス」です。そして、その脚
本の翻訳を森鷗外(ドイツ留学中、オペラをよく見に行っていた)に依頼した
のです。みごとな翻訳であったそうですが、様々な事情から、この鷗外訳「オ
ルフェウス」は上演されることはありませんでした(実現したのは、その時か
ら100年近くを経た2012年、鷗外生誕150年のことです)。
詳しくは知りませんが、今日の日本において、交響曲などに比べると、オペ
ラの上演回数はずいぶんと少ないそうですね。観客も中高年が圧倒的に多く、
若い人たちたちは少ないそうです。ましてや子供達にはほとんど知られていな
いのではないか……という中で、100年も前の音楽学校の若い学生たちのよう
に、その後輩にあたる若い人たちが、子供たちをオペラの世界に誘うために、
オペラ『ヘンゼルとグレーテル』を上演するのだという。それを聞いた私は、日
本における〈西洋音楽揺籃期〉のエピソードを思い出したというわけです。
ところで、私が個人的に興味を持っているのは、『ヘンゼルとグレーテル』
の〈お菓子の家〉です。1800年頃に成立した『グリム童話』にあるドイツの古
い民話だということですが、当時のドイツの〈お菓子〉とはどんなものだった
のでしょう。
どんな〈お菓子の家〉が不忍池に出現するのかな。
(森鷗外とオペラに関するエピソードは、音楽史家の瀧井敬子氏(東京藝術大学卒)から御教示を受けました。)
さあ、第一回目のオペラが、動き出します。
KOMOGOMO展とは。
東京藝術大学出身等の若手アーティスト達によるアートマーケットです。
第27回 KOMOGOMO展
日時:06/08(土)・09 (日)
場所:東京都上野恩賜公園
@KOMOGOMO_TEN
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