白隠禅師・動揺しそうになった時に必ず思い出す話 | Adagio Days

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カオスなブログ

※過去記事再投稿です。


タイトル通り、4年前にブログでシェアしてから、

今まで何百回となく?^^;引っ張り出してきては助けられている話。







白隠禅師という人の話。



沼津と富士の中間あたりに、


JR原駅があり、そのすぐそばに、


白隠禅師で有名な”松蔭寺”があります。 




Image source
 




『駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠』


と言われるほどの名僧で、


500年に一人の人物と言われたそうです。


白隠禅師にはいろいろなエピソードがありますが、


そのなかのひとつをシェアします。









ある日、松蔭寺の門前に棲んでいた財産家の信者の娘さんが


ふとしたことで妊娠してしまいました。

信仰のあつい父からは、だれの子か、


だれの子かとはげしく聞きただされましたが、


はずかしくていえません。








父があまり責めるので、


おそろしくなり『白隠さんのこどもです』と答えて、


父の怒りからのがれようとしました。


つね日ごろ、


禅師の大崇拝者であった父は、


それを聞いて、だまってしまいました。

父はその後、一言も娘にものをいいません。


やがて月みちてこどもが生まれるやいなや、


こどもを娘の胸から引きちぎり、


松蔭寺を訪ね、


泣きさけぶこどもを禅師のまえに投げだして、


『お前は、えらい坊さんだ、とおもっていたが、とんでもない坊主だ。


人の娘にこどもを産ますとは、なんたる生グサ坊主だ。


 さあこの子をひき取ってくれ。あきれた奴だ・・・・・・』


あらゆる悪口をいって大声でののしってかえってゆきました。












禅師は、


『ああ、そうだったのか』と


泣きわめくこどもを抱えて飴で赤子を育てはじめました。


それで、


禅師の信用はすっかりなくなり、尊敬する人もいなくなり、


いままで大勢いた松蔭寺の弟子たちも、


禅師をすててたち去ってゆきました。

禅師はいつもとかわらず、勤めをおこない、赤子を抱いて、


村々を托鉢して歩き、こどもを愛し育ててゆきます。










禅師の姿を見る人々のなかには、


罵詈や、嘲笑をあびせかけ、石をなげたり、


塩をまいたりする人もいました。




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ある雪のふる日のことでした。


いつものように禅師は赤子をだいて、


軒々を托鉢してあるいていました。

その禅師のうしろ姿を窓からのぞいた赤子の母親は、


母の情がおさえがたくもこみあげて、


おのれの心の責苦に耐えかねて、


ワーッと泣きだして父のまえに、

『あの子は白隠さんのこどもではないのです・・・・・・』と


本当のことをうち明けました。


父はビックリして、いそいで禅師のところに走ってゆき、


身の置きどころもないほどはじて、謝りました。









禅師は、ただ一言


『ああ、そうか・・・この子にも父があったのか』

といってこどもを父に手わたしました。


ただ、それだけでした。










このことがあってから、


禅師を慕う人がますます増え、


以前よりも多くの人が松蔭寺に集まってきました。


禅師は何も言わず、また何ごともなかったように、


平常の通りの勤めをはたしていたそうです。





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~Today's self coaching~


該当する方のみ自問してみてください。





今、あなたが振り回されていること


どんなことがありますか?






それをどう捉えることで


冷静に受け止めることができそうですか?

















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