嫌われる勇気・嫌われたくない・いい人 について・・・ | Adagio Days

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カオスなブログ






先日、本屋に平積みされていたのがこちら

地元の本屋ながら、

VIP席みたいな場所を陣取っていたから売れているみたいです。



『嫌われる勇気』


サブタイトルが


『自由とは他者から嫌われることである』


と、


いかにも買いたくなるキャッチ―なコピー♪


読んでないけど。。^^;














表現は違うけれど、


何度かブログでも書いてきた私の持論のひとつのに、


自分が自分らしくいて、嫌われたらそれは仕方がないこと。



というのがあります。


もちろん『自分』の中にある毒も悪もホコリも含みます。


ただ、もともとは、


みんなに好かれたい気持ちはありあり人間だから、


好かれたい気持ちはあるけど、


世の中すべてから好かれるなんてことないから、


それについてどうこうよりも


自分が自分らしくいることの方が優先で、


結果、


好んでくれる人もいれば、


その対極もいて当然ですよね。って感覚。











なぜこの記事を改めて書いたかと言うと、


コーチングで扱う事例を見てきて思うのが、


この世に存在する人間関係の問題の半数以上が、


『嫌われたくない』とか『いい人でいたい』という潜在的な思いが


関連してる気がしてならないからです。








なーんて、あたかも


『アタイは克服しちゃったもんねー(*^^)v』 


と言わんばかり偉そうに言ってますが、


昔よりはマシになったってくらいで、


今でも、嫌われたくない・・・という思いがそうさせているのかなとか


自分でそう思うことはしゅっちゅうあるので、


自分らしさを優先しつつも、


その中間を彷徨う放浪者ではありますが。。^^










プロフィールにも書いてあることなんですが、


コーチングに出会ってから、


『誰の意見に左右されることなく、自分の人生を生きよう』って決めて、


それって、言い方変えれば、


俗に言う『自分らしく生きる』ってことで、


=(イコール)『自分の気持ちに正直に生きる』ことであり、


『正直に生きる』とは


=(イコール)『自分の感情に嘘をつかない』ことであり、


『自分の感情に嘘をつかない』とは


=(イコール)『自分の感情を大切にする』


自分の感情を大切にするとは、


=(イコール)


『好き』とか『楽しい』・『幸せ』とかだけじゃない、


負の感情も、


すべて『自分がどう在りたいか』を気付いてあげるサインとして


ひとつひとつを丁寧に拾ってあげることだと思うのですよね。


この世にネガティブな感情がない人なんていないわけですし。









私自身がコーチングと出会って、


自分の生き方を見直すようになってから、


『この人魅力的だな』って思う人に全員共通しているのが、


そのままの自分を正直に生きている人なんですね。


で、


昔からの読者さんにとったら、


『また長渕かよ!』って話なんですが、(笑)


長渕さんってホントあるがままというか、


『嫌われたくない』とか


そんなことこれっぽちも考えてないだろうなっていう歌詞ばっかりなんです。


で、膨大な長渕コレクションの中から、


今朝ウォーキングで聴いてたのが、


昔ドラマの主題歌だったらしい?『英二』っていう昔の曲なんですけど、


この歌詞がまたすごくて、


シチュエーションとしては


世の中って理不尽で、やってられなくて、


生きるのにギリギリって時だってあるけど、


そこから這い上がろうぜ!みたいな意味の曲なんですが、


著作権に触れない程度に歌詞の一部を紹介するとこんな^^;







注意食事中の方は後で読まれたほうがいい内容です。










『英二』



作詞・作曲:長渕剛




○○まみれの公衆便所


鼻をつんざくアンモニア


ジッパーおろし、たれ流しゃ 真っ赤な血 のしょんべん


こびりついた 不良少年の落書き


ひきちぎられたエロ雑誌


丸めこまれた 黄ばんだちり紙


そろそろ腹わた 煮えくり返る











まぁまぁ、(^◇^;)


長渕さんの場合、


すべてに愛がありながらも、


歌詞だけ見ると、


もはや言いたい放題叫んでるとしか言えないような曲もあるんで、


長渕ファンとしては何も驚かないのですけど、^^;


いいとか、悪いとかは別として、


この歌詞をまともに読んで、


みんなから好かれるとも思えないし、


老若男女に受けが良く?


キレイに、スマートにまとめようとすれば、


他の表現方法だってあったと思うのですよね。


ただ、正直に生きる長渕さんの中にはそういう発想がない。












私自身のことを言えば、


まだまだフラフラすることはあっても、


できる限り自分に正直であろうと生き始めてから、


数はすごく少ないけど、


周囲もそういう人しか集まらなくなって、


だから、本音でしか話さない。








もう、表面的なとか、上っ面とか


そういうので話す時間がもったいないというか。。


意味がわからなければ『意味わからない』って言うし、


それなりにモノの分別がわかる大人で、


会話してて、


意味がわかってなさそうなのに生返事みたいのが帰ってくると、


理解してないことをバカにするとかそんなんじゃなく、


単純にそう感じたら、


『私の話、意味わかってますか?』って訊いちゃう。


そうやって本音でぶつかってくる人間が苦手な人は


私の元を去って行く(笑)


だから、本音で正直に生きる(生きようとしてる)人しか残らない。













それで、


長渕さんみたいに本音で正直に生きてるか、


私みたいに正直に生きようと日々奮闘している人って、


自分の中の負の部分、


叩けばホコリだらけのホコリの部分と共に生きてるから、


誰かのホコリの部分を見ても、


比較的なんとも思わないというか、


むしろ私なんか


『自分のほうがもっと酷いでしょ^^;』くらいの自覚があるので、


それに対しどうこう思わないことがほとんど。。


変に取り繕うとかされると、


逆にそれを察知しちゃって寂しくなってしまうくらい。。











私みたいな正直に生きる進行形みたいな


中間層もたくさんいるとは思うけど、


世の中って類友の法則ってあると思うから、


とっても大雑把に分けてしまえば、


『嫌われたくない』とか『いい人でいたい』って思う人には、


同様に考える人が集まりやすい傾向ってあると思うんです。


かつては私も彷徨いながらもそこにどっぷりだった日々もあったし、


さっきも書いた通り、


今でもその気持ちに戻ったりすること多々あるから、


それが一概に悪いというわけでないけど、


それって表面的には円滑な人間関係を築けているように見えて、


裏はどうなんだろうって思うし、


長きに渡ってそれを通過しつつ葛藤の中にいた自分の経験を踏まえても、


とても生きにくいんじゃないかと思うんです。










作家の曽野綾子さんのエッセイの最初の方で


すっごく共感しちゃったこんな言葉があります。




私がいい人をやめたのはかなり前からだ。


理由は単純で、


いい人をやっていると疲れることを知っていたからである。





さっき書いた通り、


嫌われることを好んでいるわけではないので、


嫌われるのは、いい気分ではないことは確か。。


おまけに正直に生きてると好かれることもあれば


嫌われることだって普通にある。(みたい^^;)


でも、それさえ慣れちゃえば、


たまに『嫌われたくない自分』をフラフラすることはあっても、

そのままの自分を生きるほうが自分がめちゃくちゃラクです。





いつになく、思いついたこと書き殴った内容になってしまったので、


私が伝えたいニュアンスを拾ってもらえたらと思います。^^







Image source




『今日の自分への質問』



抽象的な質問なのでヒットした方のみ考えてみたください。





『あなたの本音って何ですか?』


そう漠然と訊かれて


今のあなたは何に対して


どんな思いが出てきますか?
















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