『おくりびとだった日々』
先週末、父亡き後、
真っ先に父親代わりを名乗り出てくれ、
実の父以上に^^;
愛情を注いでくれた叔父(父の弟)が突然亡くなり、
急遽帰省していました。
叔父の家には、東京にいた時はもちろん、
関西に引っ越してからも帰省の度に遊びに行っていました。
行くと必ず深夜になって、時に朝方まで話したこともありました。
叔父のことをまともに書こうと思ったら、
小冊子一冊くらいなら余裕で書ける人で、
実の父とは心が通い合えるような話がほどんどできなかった分、
その時間を埋めるかのように、
叔父とは、父の何倍もいろんな話をしたような気がします。
それくらい私に影響を与えてくれた人でした。
そして、それは子供の頃からず~っと死ぬまで変わらなかった。
今から書こうとしていること、
人んちの叔父さんがどういう人だったかなんて、
みなさんにとったら、
チョ~どうでもいいことだということくらい百も承知ですし、
その思い出を綴ることは、
はっきり言って、
親族自慢以外のナニモノでもないので、
ここから先は、
それを了承いただいた方のみ読み進めてください。
以前記事にも書いた父と共に、
極貧の幼少期を過ごした叔父は、
もともとは東京の外れで採石業を営んでいて、
30代で事業に失敗し(←たぶん^^;)
40代になってから、
今度はトラック一台とハンマーと身体ひとつで解体業を始めました。
解体業って言ったって、
最初は近所のほったて小屋みたいな物置や車庫を、
ハンマーを使って、ひとり手壊しで解体するという
超原始的な方法での起業でした。
家が近かったので、帰り際に外で遊ぶ私に、
廃材を積んだトラックの窓からニコっと笑って顔を出し、
『おぅ!』って声をかけてくれるのだけど、
いつ会っても叔父さんは全身ほこりや煤だらけで、
頭やほっぺまで汚れていて、
床屋さんにも行ってないような伸びきった髪には
汗とホコリがへばりついていました。
ハンドルを握る手の指も爪先まで真っ黒で、
子供ながら『うわぁ!汚ね~(;°皿°)』とか思ってて。(笑)
でも、
いつも笑顔で話しかけてくれたり、
一緒になって遊んでくれる叔父さんが子供の頃から大好きでした。
その後も波乱万丈な人生を送り、
私が中学の頃には、
会社で廃材の保管場所にしていた敷地がいっぱいになって
河川に溢れだし、
近所の人に通報され、不法投棄で現行犯逮捕された。
事業主による不法投棄だったことから重罪となり、
全国ニュースで叔父の名前が出ちゃって、
留置場に入ってた時期もありました。
それが引き金となって仕事が激減し、会社も傾きかけ、
後で叔母から聞いた話だけど、
祖父が亡くなった時、
香典に入れる数万円が工面できない時もあったそう。
また、仕事中にビルの足場から転落し、
親族が全員呼ばれるくらいの生死をさまよったり、
書き切れないくらいの試練の人生ながら、
何度人生につまづいてもタダじゃ起きないような人でした。
やがて、叔父さんがたったひとりで起した解体業は
経済成長期の建設ラッシュの波に乗り急成長し、
50代で息子(従兄)に引き継ぎ、
現在は、都内の誰もが知っているような
都内の高層ビルの解体も受注する企業にまで成功している。
第一線から退いたその後の叔父さんは、
叔母とともに世界中を旅したり、
その縁で出会った中国の貧しい地域で、
日本に留学を希望していた子達の身元引き受け人となったり、
親代わりになって大学生活や就職まで面倒を見たり、
中国と日本を何往復もするような、
そんなボランティアみたいなことに明け暮れた晩年を過ごしていた。
叔父さんから影響受けた言葉や考え方ってい~っぱいあって、
それはいろんなシーンで登場するのだけど、
やはり一番叔父さんから見習いたいな~って思うことは、
大切な人との縁をとても大切にするということ。
叔父さんの会社には、叔父さん曰く、
『シルバー人材センター』とふざけて命名してる子会社があって、
本社とは遠く離れた叔父さんの家の敷地の横に隣接する会社?とやらに
お年寄りが毎朝ゾロゾロと出勤してくる。
お年寄りの人達は休憩ばっかりしながらも、
叔父さんの趣味の大量のツツジの栽培を手伝ったり、
動物園のように趣味で飼っているサルやイノシシ達の世話をしたり、
庭いじりをしたり、何やら作業をしている風?!だけど、
どう見ても叔父さんと同年代な70代後半な感じで、
中には、杖ついて来ている人もいたし、休んでばかりいる人もいた。
それなのに、どことなく活き活きと楽しそうに作業する風なその姿は、
生涯現役と言わんばかりにみんな誇らしげな表情だった。
叔父さんは
『日当(給料)は少ししか出せないけど、ずっと来てもらってんだ^^』って笑ってた。
一度、叔母と二人だけだった時に、
その作業員の方達のあまりのお年寄り過ぎる姿に、
『あのおじいさん達を雇っても、
あの仕事っぷりじゃ採算が合わないんじゃない?』
って訊いたら、叔母はこんなことを言っていて。。
『叔父さんはね、
あの人達に働いてもらおうなんて思って雇ってないんだよ、
あの人達は、
叔父さんの会社がまだ誰にも相手にされないような時代から、
一緒になって働いてくれた人達で、
叔父さんもいろいろあったりしたでしょ、
お給料が給料日に払えなくて、待ってもらうような時もあったのに、
文句も言わず、
叔父さんと一緒になって会社を大きくしてくれてきた人達だから、
あの人達がいなかったら、今の会社はなかったって。。
だから叔父さんは、定年後も、身体が不自由になっても、
杖ついてても、何かしらやることはあるから、
来られる人はいつまででも働きに来てくださいよって言ってるのよ・・・』
オーナー会社だからこそそんな自由ができるのだとは思うけれど、
創業期メンバーの雇用体制はずっと続けるのだとも言ってた。
そんな通称シルバー人材センターの人達と
叔父さんが触れ合っている光景は、
雇い主と従業員という関係を超え、
何十年という人生の苦楽を共にしてきた仲間のようでもあり、
家族のようでもあった。
叔父さんの告別式が終わり、
火葬場に移動して、
親族との最後の面会を終え、いよいよお別れという瞬間、
突然後方から、
まさに創業時代からの仲間だったらしき、
叔父さんと同年代のご老人二人が駆け寄り、
花で埋め尽くされた叔父さんの棺の端を、
何度も叩きながら泣き崩れていた。
すごく悲しい瞬間でもあったんだけど、
すごく素敵な瞬間だなって思いました。
火葬場の待合室の大きな窓から見えた桜が満開で、
みんながその桜に励まされているようでした。
叔父さんはこの時期を選んで旅立ったような気がしました。
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