これは、ある美しい女性の物語です。
彼女は、心屋のマスターコース の卒業生です。
ただ、一つの問題にずっと悩んでいました。(悩んでたか?(笑)
そして、この問題の解決方法は
多くの方に共通する解決方法でもあるのです。(すべてではないですよ
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僕は、
無料のオープンカウンセリングも
有料のカウンセリングも
基本的にやることは同じです。
どんなことやるのかなー・・・ というのを感じ取っていただければ嬉しいです。
普通のカウンセリングではありえないような
そんな手法を使います。
だから、当然、
受け入れられなくて去って行かれる方もおられます。
「癒し」を求めてこられる方には、きっと期待に添えません。
「本気で変わる」方には、僕も「本気」で向かい合います。
それだけ劇薬なのかもしれません。
口に苦い薬を飲んでいただきます。
今まで、苦いから飲むのを避けてた「ことば」というお薬。
嫌がっても、飲んでいただきます。
その痛みから、その苦しみから解放するために。
信じてついてきていただく方には
素晴らしい効果をご提供することができます。
とにかく
ぜひぜひお読みください。
長い長い物語です。。。
***** *** ここから *** ******
今から5年前。
ほんとにふとしたきっかけで、わたしはある国家資格を目指すことになりました。
いえ、まったくビジョンなく、単に国家資格合格を目指すことにしたのです。
自分では気がついていませんでしたが、それは、
開けてはいけないパンドラの箱に手をかけた瞬間だったのかもしれません。
本当に合格したいのであれば、勉強をすればいいのです。
合格する勉強を、すればいいのです。
だけどわたしが取り組んだのは、それとはまったく逆のことでした。
そんなことをしているのだから、合格はどんどん程遠いものになっていきました。
アタリマエのことですね。なのにそれがわからなかった。
「なおは、なんでその試験受けんのや?」
ぢんのすけさんからは、何度もそう質問されました。
「そんな試験受けなくても、なおはなおやろ。なにを確認したいんや?」
「どう見ても、なおがその試験に合格したいようには見えへんけどな」
なに言ってるの?セラピストのくせに、人のやる気をそぐんじゃない!!
まったく意味不明でした。
そのときはまったく気がついていませんでしたが、年数を重ねることで、
「そのとき」は確実に近づいていたのです。
今年で5年目。
さすがにこれ以上、非合格を繰り返すわけにはいかない。
受験は、今年で最後。そう背水の陣をひいて迎えた今年の8月。
初めてほぼ1年間、勉強に取り組みました。
「合格できる勉強」というものに、初めてトライしたのです。
まだまだ出来ることはたくさんあったと思いますが、
いろんなことがあった中、自分としては、やれることはやったと思います。
平日で5、6時間。休日は12時間くらい、勉強しつづけたこと。
それはそれで、ある意味自信になったりしました。
わたしだって、やれば出来るんじゃん。
ある意味、生まれて初めてがんばった自分を誉めたいとも思えました。
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だけど、もし、今年も失敗したらどうしよう。
ここまでがんばったのに、もしまただめだったらどうしよう。
試験を1週間後に控えたある日、
ミスドで勉強中、突然、不安で不安でたまらなくなり、
テキストの内容がまったく頭に入ってこなくなりました。
「今年で最後なのに、また合格できなかったらどうしたらいい?」
胸が押しつぶされそうになり、泣きそうになったとき、
ふと、NLP講座で、セラピーで、これまでの人生のいろんな場面で助けてもらった、
ぢんのすけさんの存在を思い出したのです。
「ぢんさま、試験まであと1週間なの。
自分としては精一杯がんばって勉強したけど、
急に自信がなくなってしまって(T_T)今年も失敗したらどうしよう」
そしたら、いつもはメールしてもなかなか返事をくれないぢんのすけさんが、
そのときに限って、なぜかそっこーで、こんな返事をくれました。
>失敗したらどうしよう
>うまくいかなかったらどうしよう
>
>って考えるよね。
>
>大丈夫、失敗するから。
>それは決まってることだから。
>
>そして、それを「失敗」ととるから
>生き方がおかしくなるだけなのね。
>
>大丈夫、失敗する
>大丈夫、失敗する
>
>そして
>失敗してもいい。
>
>失敗すると不幸せ?
>いまは不幸せ?
>
>いっぱい幸せ持ってるはずなのに。
>そんなにわざわざ不幸を作りに行かなくていいの。
>
>
>いまも、幸せ
>いまも、幸せ
>合格しても、幸せ
>失敗しても、幸せ
>
>
>力抜いていこう
>リラックスが一番の力
>
>失敗を恐れる心が
>一番の障害
>
>「失敗してもいい
> 後悔してもいい
> どん底に落ちてもいい
> みじめでもいい
> 馬鹿でもいい
> 苦労が無駄になってもいい
> 自分が馬鹿に思えてもいい
>
> そして
>
> うまくいってもいい
> 喜んでもいい
> みんなに祝ってもらってもいい
>
> どちらでもいい
> どちらでも、幸せ」
>
>
>これを口に出して唱えてみな。
はい!?「大丈夫、失敗する」って、どゆこと!?
ななななんてヒドイことを。最初はそう思ったけれど、
これまでのことを思ったら、無事に試験を受けられることこそ、
超幸せなことなんだということに気がツキ、
(前年までは、試験中、鼻血が出たり、時計を盗まれたり、
電車が止まったりインフルにかかったりして、
まともな状態で試験を受けられていなかったのです)
そんなふつーのことまで忘れてしまってたことを反省し、
自分がいかに幸せの中で受験出来るということにあらためて感謝し、
また、そのことを思い出させてくれたことに感謝しました。
で、言われるままに、声に出してみることにしたんです。
最初は抵抗があり、なかなか声に出すことが出来なかった。
だって「大丈夫、失敗する」、ですよ。
これまで失敗しないために、努力を重ねてきたのに、
「大丈夫、失敗する」だなんて。冗談じゃない、そう思った。
いやいや繰り返した。ミスドで。健康保険法のテキスト開きながら。
3回繰り返して読み終わったとき、いきなり、はっ、とした。
がつん、と、なにかに殴られたような、衝撃があった。
血が逆流したような、気がした。
目からウロコが、ぼろぼろ落ちた。やられた。なぜだか、そう想った。
「大丈夫、失敗する」は、「失敗しても、大丈夫」なんじゃないだろうか。
いや、「大丈夫、失敗する」けど、「失敗しても、大丈夫」なんじゃないか。
試験に失敗することだけにスポットを当てていたから、それまではわからなかったこと。
わたしはなんのために、この試験を受けつづけてきたの?
わたしは今までこの試験に合格しなかったことで、なにを失ったというの?
逆に、どれだけたくさんのものを手に入れることが出来たんだろう?
わたしが合格できないと、わたしは人生の敗者なの?
わたしは合格できないから誰にも愛されてないの?
合格合格、合格。わたしはなにに執着していたのだろう?
すでにわたしはこんなにもたくさんの愛を受け取っているのに!!
すでにわたしはこんなにも幸せなのに!!!
ねえ、なにしてるの!?なにしてたの!?なにやってるのよ!!!
いいかげん気づけよ、馬鹿!!
声に出して読みながら、涙が出た。止まらなくなった。
ミスドで号泣。健康保険法のテキストを開きながら。
超アヤシイ人でした(笑)。
でも今思えば、それは、わたしのパンドラの箱が開いた瞬間だったのかもしれません。
それから毎日、朝、勉強する前、夜、勉強終わって寝る前に、それを繰り返し唱えた。
そのたびに、涙が出た。ありがたいと、思った。
失敗してもいいって。でも、幸せって。そして、わたしはほんとにツイてるって。
こうして馬鹿みたいに、毎日、わたしは唱えつづけたんです。
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そして本試験当日。午前中の選択式問題。
直前まで開いていたのは、「失敗してもいい」って書いてたノート。
直前まで唱えていたのは、「失敗しても、大丈夫」。
試験中、思ってもいなかったトラブルに見舞われて、もうだめかと何度も思ったけど、
最後の最後までがんばった。だって、大丈夫だから。
・・・・ほんとに、大丈夫だった。
午後からの択一試験。途中から意識がなくなりそうになったけど、
「大丈夫、大丈夫。苦労が無駄になっても、だめでも、幸せ。
でも無駄になんか、ならないんだから」
言い聞かせながら、全身全霊を傾けて、問題に取り組んだ。
「はい、時間です。鉛筆を置いてください」
そう言われたとき、椅子からころげおちそうになった。限界だった。
でも最後まであきらめなかった自分を誉めたいと、生まれて初めてココロから思った。
大丈夫。もう、大丈夫。わたしはなにがあっても、もう大丈夫。
帰りの電車の中、それだけを繰り返してた。
パンドラの箱。最後に出てきたのは、希望だったっけ・・・。
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そして約2ヶ月後の発表日。
「健保、救済があったよ!合格しているんじゃない?」
仕事中、受験仲間からメールが届いた。まさか、と思った。
まさかそんなことになるとは思ってもいなかったので、受験番号は控えていない。
もしかして、という想いと、いや、まさかそんなことが。そのふたつが交錯した。
転げるように、帰宅した。帰宅して、受験票を探した。
インターネット官報。番号確認しようとしたが、なかなかつながらない。
祈るような気持ちで、画面を見た。
あった!!!!・・・・番号が、あった。合格していた。
今思うと、まさかの健康保険法。
救済があり、合格基準点が下がったおかげで、合格することが出来ました。
これを奇跡と呼ばず、なにをそう呼ぶと言うのでしょうか。
もしあのとき、試験勉強が調子よく仕上がっていたら。
ぢんのすけさんに助けを求めることはなかっただろうし、
そうしたら、わたしのパンドラの箱はそのままだっただろうと思います。
やっぱり自分でわざわざ問題を作り出し、みずから解決できない方向にもって行き、
「ほらね、やっぱりわたしはだめなんだ、だから失敗ばかりしているんだわ」
もっともっとたくさんの鎧を着込み、いただいていた想いをはじき返し、
残念な人生を歩んでしまっていたかもしれない。今そう想うのです。
わたしが今年、合格できたのは、本当に奇跡です。
そしてその奇跡を呼ぶ手助けをしてくれたぢんのすけさんに、
ココロから感謝しています。
今、苦しんでいらっしゃる方々に、苦しむことが好きな方々に、わたしは言いたい。
うそでもいい、思っていなくてもいい、でも、繰り返し、口に出して唱えてみな。
絶対に、なにかが変わる。なにが変わるかはわからない。
ぱちーん、て、殻が破けてはじける人も、いるかもしれない。
目の前の曇りが取れる人も、いるかもしれない。
でも、どうなるか、やってみないとわからない。
どう変わるかは、わからない。
変わることは、もしかしたらこわいかもしれない。
でも、その1歩が、人生において、とても大きい1歩になるかもしれない。
だから、言いたい。
繰り返し、口に出して唱えてみな、と。
大丈夫。あなたは守られています。もうすでに手に入れています。
だから、なにがあっても大丈夫なんです。
「大丈夫」っていう字を見てください。
字の中に、人が3人、居るのがわかりますか?
あなたはすでに、3人の人に守られているのですよ。
だから、大丈夫。勇気を出して、その1歩、踏み出してみてください。
このわたしがそうしたように。
***** *** ここまで *** ******
なお
ありがとう。
よく頑張って苦いお薬飲んだね(笑)
そして、決してこれは僕の力ではなく、
あなたの今までの努力と行動力の結果です。
僕は、その最後のブレーキ外しのお手伝いをしただけ。
外したのは 自分 です。
あなたの力を信じてよかった(*^^)v