生活保護バッシングによる制度改悪は餓死・孤立死を激増させる | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 ※きょう2千人の参加で取り組まれた中央行動での「全国生活と健康を守る会連合会」(全生連)からの訴えの一部要旨を紹介します。(by文責ノックオン。ツイッターアカウントはanti_poverty)


 今年1月に、札幌市の40歳代の姉妹が餓死する事件がおきました。姉は福祉事務所を3回訪ねましたが、生活保護の申請用紙すら渡されませんでした。当該の区役所でも生活保護が必要な状態だったと認めています。


 生活保護が必要な人に対して申請用紙すら渡さないという対応は、政府や厚生労働省の生活保護をできるだけ抑制したいという政策があらわれている結果だと思います。


 いま女性週刊誌の報道から端を発し、国会にまで取り上げられたタレントの生活保護「扶養義務」の問題で、「不正受給をしているのではないか」と生活保護バッシングが巻き起こされています。テレビや週刊誌などで騒がれるなか、受給者が「生活保護を受けている自分が悪いのか」と精神的に追い詰められたり、「結婚した娘からの援助をもらわなければならないのか」と申請をためらい、萎縮している人たちが増えています。


 道徳、倫理上からいえば、子どもが親を養う、面倒を見るというのは良いことでしょう。しかし、法律上は、扶養義務者がいるからといって生活保護が受けられないということはありません。そもそも、民法では成人の子が、成人の親に対して負う扶養義務は、「自分の社会的地位にふさわしい生活をして、なおゆとりがある場合は、扶養しなさい」という弱い義務です。親が未成熟の子どもに対して求められる強い扶養義務の場合でも、親は、自ら「健康で文化的な最低限度の生活」をした上で、子どもの扶養をしなさいというもので、自らの身を削ってまで扶養しろとは言っていないのです。お互いが共倒れになる危険を避けるためです。


 さらに、民法上の扶養義務と生活保護法で求められる扶養義務の取り扱いは違います。旧生活保護法では、扶養義務者に扶養能力があるときは実際に扶養(援助)されていなくても生活保護は受けられませんでした。この点をあらため、1950年からの現行生活保護法は実際に扶養されているときに限り、扶養されている範囲内では保護をしない――たとえば、仕送りがあればその分は減額する――ようになりました。ですから、いま問題になっているタレントの母親の場合は、不正受給ではないのです。


 憲法25条と生活保護法で、すべての人に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障しているのは、こうした意味です。


 ところが、小宮山洋子厚労相は、「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務を課す」方向で「法改正」を検討する考えを国会答弁で示し、扶養を強制しようとしています。


 日本では、生活保護基準以下で生活し本来なら生活保護を受けられる人の8割から9割の人が受けていないことの方が問題なのです。必要な人が安心して生活保護を受けられるようにする必要があります。


 自民党はさらに踏み込んで生活保護について保護費を10%下げる、医者代も一部負担させるなどの「改正案」を出しました。厚労省は「不正受給」をなくすために、警察官OBを積極的に配置するように指示しています。しかし、支給額全体に占める不正受給の割合は、2006年度から2010年度を通して0.3%台と、ほぼ横ばい状態です。繰り返しますが、生活保護の大きな問題は、生活保護基準以下で生活し本来なら生活保護を受けられる人の8割から9割の人が受けられていないことなのです。


 厚労省はさらに7月5日に国家戦略会議へ提出した「生活支援戦略」の中間まとめで、「扶養義務者」に保護費の返還を求めるしくみ、給付の「適正化」、給付の引き下げ、不正受給についての罰則の強化を打ち出しています。社会保障制度改革推進法案でも生活保護の「見直し」が出ています。


 こうした生活保護制度の大改悪は、餓死・孤独死・孤立死を急増させることになりかねません。生存権を守るために、生活保護の改悪は許してはならないのです。