消費税増税と社会保障削減の「一体改革」への系譜 - それは小泉構造改革への財界の不満から始まった | すくらむ

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 昨日のエントリー「停滞していた構造改革の再稼働はかる野田政権-支配勢力のフラストレーションが強力な巻き返しの原動力」 に引き続き、一橋大学名誉教授の渡辺治さんの講演「『一体改革』のねらいと対抗する運動の展望」です。(※私のメモと講演レジュメをもとにつながるように要約したものですから必ずしも話された通りではないこと御了承ください。by文責ノックオン。ツイッターアカウントはanti_poverty)


 「社会保障と税の一体改革」という構想はどこから出てきたものでしょうか? 「一体改革」構想には大きく言って2つの系譜があります。


 第1の系譜は、小泉政権の真っ只中の2003年以降に財界が主張した「一体改革」構想で、小泉構造改革への財界の不満から生まれたものです。(※もっともまとまった文書としては日本経団連の「税・財政・社会保障制度の一体改革に関する提言」〈2008年10月〉がある)


 財界は戦後はじめて急進的な構造改革を推進する小泉政権を大歓迎し全面的にサポートしました。しかし、財界は、小泉構造改革に対して、ただ1点だけですが不満がありました。小泉政権の6年の間、一貫して消費税増税を封印してしまったことです。


 なぜ小泉構造改革は消費税増税を封印してしまったのでしょうか? 小泉・竹中ラインの構想を簡単に言うと、医療・福祉・教育などを含め社会保障関連予算は切って切って切りまって歳出を削減し、そして大企業の財政負担を軽減するというものでした。


 小泉・竹中ラインの考えは――大企業の負担を軽減するための財源として消費税を認めてしまうということは、ある意味では「社会保障を切って切って切りまくる」というパトスが沸かなくなってしまう。だからあえて消費税増税を封印するのだ。消費税増税という麻薬に取り憑かれてしまうと結局のところ政治家は自分の地盤が不安定になる社会保障削減や雇用・就労・生活保護の過酷な切り捨て、地域に対する公共事業の打ち切りなど、できればやりたくないものを消費税増税で面倒を見ればいいじゃないかという安易な方向に流れてしまいかねない。安易な方向に行かないようにあえて消費税増税を封印して、社会保障を切って切って切るまくるという急進構造改革を強行するのだ――というものでした。


 こうした小泉構造改革の考えに対して、財界と財務省は疑問を持ち、消費税を増税しなければ財政を維持しながら大企業の負担軽減を行うことは困難だと主張しました。財界は小泉構造改革に対して、この1点だけを批判しました。自民党の中でも財務省寄りの与謝野氏や谷垣氏などは、社会保障も切り捨てるけれども同時に消費税増税も実施すべきと主張しました。それでも小泉・竹中ラインは納得しなかったため、社会保障削減とともに消費税増税も実施せよという「一体改革論」が財界から強力に主張されるようになりました。


 ところが、2006年、小泉政権が交代する頃から別の「一体改革論」が出てきます。それは構造改革の矛盾が大きく社会をおおい、反構造改革の運動が高揚したために、福田政権では社会保障国民会議、麻生政権では安心社会実現会議という形で対応せざるをえなくなります。これが「一体改革」構想の第2の系譜といえるもので、構造改革の矛盾による社会の破綻に対する政府の危機感から生まれたものと言えます。


 小泉構造改革が社会保障や雇用・就労支援などを切って切って切りまくったため、矛盾が激化し、餓死、自殺、ネットカフェ難民などが社会問題として顕在化し、しかもリーマンショックが加わるという中で、社会保障に手当をしないで削減するだけでは自民党政権も構造改革も継続できないような状況になってしまいました。そのため、社会保障については一定の手当をしながら、構造改革も継続し、大企業の負担も軽減する必要があるので、消費税増税が必要。社会保障に一定の手当をする代わりに消費税増税を大胆に実施していくという「社会保障を充実するから、国民のみなさん、消費税増税を我慢してください」という考え方が登場することなりました。これは財界が考える社会保障も切り捨て消費税増税もするという「一体改革」とは違った形で登場しました。それが福田政権のときの「社会保障国民会議最終報告」(2008年)で出されていて、政府が出すものとして極めて珍しく構造改革に対して一定の反省を表明しています。しかし、福田政権や麻生政権において消費税増税などできるはずもなく、自公政権は倒れて民主党政権が生まれました。誕生間もない民主党政権は、社会保障に対する支出の増大を、子ども手当や高校授業料の無償化など、とても自民党政権では手をつけられなかった福祉支出の増大を実施しながら、同時に消費税増税を封印してしまうことになり、そういう意味では「一体改革」は私たちの運動によって一端は破綻させたということになります。


 ところが、「一体改革」は再び登場します。財界とアメリカの圧力のもとで構造改革に回帰した菅政権のもとで「一体改革」は再登場しました。菅政権は2010年7月の参議院選挙のときに消費税増税と法人税減税という大企業負担を軽減するための構造改革路線を打ち出しましたが、あっけなく国民に「ノー」と言われてしまいます。そのときの消費税増税の理由はただ1点、「財政再建」です。「このままだとギリシャになるぞ」と主張したわけですが参議院選挙で国民に「ノー」と言われ、そこで持ち出してきたのは持続可能な社会保障のためには消費税増税が必要だという「一体改革」です。そして、人的にも麻生政権時の「安心社会実現会議」のメンバーであった与謝野馨氏と中心的な学者であった宮本太郎氏を入れて「一体改革」を推進しようとしていました。ところが、3.11の東日本大震災以降、財界主導の社会保障削減と消費税増税という「一体改革」に回帰していくことになります。人的には第2の系譜の中心メンバーによって集中検討会議を進めたのですが、3.11以降、「財政再建」と「震災からの復旧・復興財源確保」が前面に出ることになり、社会保障削減と消費税増税という「一体改革」に転換してしまいました。これが、3.11以降の「一体改革」の大きな変質です。


 さらに野田政権は、「一体改革」を「財政再建一本槍」にして、財界が2003年以降主張してきた「社会保障削減と消費税増税の一体改革路線」に完全に戻ってしまいした。


 2003年以降、財界が主張してきた「社会保障削減と消費税増税の一体改革」は、福田・麻生政権では社会保障の一定の手当が必要とされ、鳩山政権では「一体改革」そのものが無くなり、菅政権では福田・麻生政権の「一体改革」に戻り、ところが3.11以降、変質していき、野田政権で財界の「一体改革」となり、財界最大の眼目である法人税の連続的引き下げが「一体改革」の中で打ち出されました。一回転して、財界の「一体改革」の主張と、野田政権の「一体改革」はまったく同じ構成と同じ内容で展開されることになったのです。