いつでも、だれでも、やり直し可能な社会、悲しみ分かち合う社会こそ必要 | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 日本弁護士連合会(日弁連)が『労働と貧困 - 拡大するワーキングプア』(あけび書房)という書籍を刊行しました。これは、昨年ひらかれた日弁連第51回人権擁護大会シンポジウム第3分科会「労働と貧困」の基調報告書をまとめたものです。その分科会では、東京大学・神野直彦教授の講演も行われていて、本書の巻末にその講演録「ワーキングプア - その拡大要因と公正な社会のあり方を考える」が掲載されています。とても興味深い内容ですので、一部要旨を紹介します。(※最近、「正社員や正規公務員の既得権である解雇規制さえ緩和すれば、雇用が流動化して非正規問題が解決し、産業構造も柔軟に変化するとともに、経済成長へとつながり、結果として貧困問題も緩和することになる」などという主張が出されていますが、そんな問題ではまったくないということが、神野教授の話でよく分かると私は思いました。byノックオン)


 EUは、開放的市場経済をめざし、社会的市場経済、つまり市場経済を社会のコントロールの下に置き、社会的弱者保護をしていくという方向を取っています。


 そういう状況の下で「労働と貧困」の問題を考える上で、2つのキーワードを紹介します。いずれもスウェーデン語ですが、「オムソーリ」と「ラーゴム」という言葉です。


 「オムソーリ」というのは、英訳するとソーシャルサービス(social sarvice)と訳され、社会サービスという意味です。日本では社会福祉の中に医療を加えない場合がありますが、日本の社会福祉よりも広く、これには医療が入ります。さらに教育も入りますので、「オムソーリ」という意味は、対人社会サービスだと考えていただければと思います。


 この「オムソーリ」のもともとの意味は、「悲しみの分かち合い」です。「教育も悲しみの分かち合いですか」と聞くと、「そうです」とスウェーデンの人々は答えます。「悲しみを分かち合う」ということは、悲しんでいる人々が幸福になるだけではなくて、「分かち合う」ことによって、分かち会う人も幸福になる、それがスウェーデン人の価値観です。人間が、生き甲斐あるいは幸福だと感じるのは、他者にとって自分が必要不可欠な存在だと認識できたときです。「悲しみを分かち会う」ということによって、悲しみにうちひしがれている人々にとって自己の存在が必要不可欠だということが実感できるので、これが幸福につながるというのがスウェーデンの人々の考え方です。


 「ラーゴム」というのは、「ほどほど」という意味で、極端に貧しくなることも嫌うけれども、極端に豊かになることも嫌う、スウェーデン国民の独特の価値観です。日本語に直せば「中庸の徳」というような意味です。つまり、ほどほどでバランスをとるという意味です。


 この「ラーゴム」ということからすれば当然ですが、「ワーク」と「ライフ」とのバランスを確保するということと同時に、「公」と「私」のバランスも確保するということです。私が大学生時代に、ガルブレイスが『豊かな社会』という本を書きました。豊かな社会になっていくと、「私」の部門はますます豊かになっていくけれども、「公」の公共部門は貧弱になっていって、社会的アンバランスが生じてしまう。この社会的アンバランスが生じた結果、新しい特殊な貧困が生じてくるというのが、ガルブレイスの『豊かな社会』で言われた世界ですが、現在の日本を見てみると、ガルブレイスが予言したことが当てはまっていると思います。


 政府が規制を緩和して、市場の領域を拡大し、さらに政府が市場規制するためにつくっていたような国営企業は民営化すべきだという「小さな政府」論を展開し、それが経済成長を実現するんだと主張したわけですが、現実には裏切られているわけです。この「小さな政府」論は、当然のことながら格差を生み出します。「小さな政府」を主張する人々も、格差が生じないとは言っていません。格差は確実に生じるのです。それは市場を野放しにし、市場は弱肉強食、優勝劣敗ですので、強者が勝ち、小さな弱い者が負けていくわけです。


 そして、格差の拡大に伴って生じる社会の亀裂に対してはどういう言い方をしてきたのかというと、それは皆さんご存じの「トリクル・ダウン」です。市場で豊かな者が豊かになっていけば、その豊かな者の“おこぼれ”が貧しい人々に“こぼれ落ち”、貧しい人々も豊かになっていく。「上げ潮」も同じことです。潮が上がっていけば、格差が拡大したとしても、「上げ潮」にすべての船が乗っかって上がってくるんだという考え方です。


 ところが、この「トリクル・ダウン」は、「小さな政府」とセットになっていくとまったく生じないのです。国民国家の機能が小さくさせられ、民主主義で決定する領域が小さくなっていくと、「富を得る」ということが、「富を使うために持つ」というのではなく、「富によって人を支配するために持つ」ようになるからです。なぜ富を持ちたがるのか? それは、富を持つことによって、その富の前に人々が屈し、人々が言うことを聞くからです。民主主義による強制力よりも、富による力のほうが強くなってくるからです。権力を保持するために富を持ち始めると、とめどもなくふくれあがるんです。


 豊かな者をいくら豊かにしても、そのおこぼれが「トリクル・ダウン」して、貧しい人々の所得を上げるわけではない。これは今の日本社会が実証しています。経済成長の中で、成長は重要だと言いますが、経済成長しても労働者の賃金は上がらないということは、もう経験してきたことです。日本は2002年から2008年2月まで日本の歴史始まって以来の経済成長の持続を遂げてきました。いざなぎ景気を超える景気だったのです。しかし、この過程で、企業の利益は上がっていますが、労働者の給料は下がり続けています。経済成長をしているのに、労働者の賃金は下がり続けている。企業は、経済成長しているときにも、アジアの賃金の低さを見ろとか言っていたのですが、アジアにも抜かれました。日本の現在の平均賃金は月額28万円ですが、ついにこの間、韓国が30万円を突破しましたから、韓国にも賃金は抜かれているのです。スウェーデン、アメリカは40万円です。


 やらなければならないことは何か。それは「ファウンテン理論」です。「ファウンテン」とは“泉”です。上からしたたりおちるのではなくて、下から泉のごとく湧き上げなければならない。


 OECDは、2007年、日本の経済に対する審査報告書を出し、日本は、OECDの中で格差が平均を上回って不平等な国になっていると同時に、相対的貧困率は先進国で一番不平等なアメリカに肉薄して第2位につけており、特に、子どもを持っている世代の相対的貧困率は世界で突出してトップを走っていると勧告しました。


 OECDによる2001年の対国民所得比の数字を見ると、児童手当は、スウェーデン2.28%、ドイツ2.75%、イギリス2.24%、フランス2.15%などに対して、日本の児童手当はわずか0.28%で、他国の10分の1しか出していません。子どもたちに対する公的な教育の支出も、先進国の中で最低で、これが世界一高い学費を生み出しています。


 介護を含む高齢者福祉サービスは、スウェーデン5.57%、イギリス1.05%、ドイツ1.01%、フランス0.91%に対して、日本は0.42%で、スウェーデンは別格としても他国の半分にも日本は達していません。


 医療・社会保障などを、市場原理で市場に任せ、市場でサービスを購入するということは、「購買力に応じてサービスを配る」ということです。お金持ちには多く、貧しい人には少なく配ります。それに対して、公共サービスで配るということは、「オムソーリ」ですから、「悲しみを分かち合う」ので、「必要に応じて配る」わけです。


 日本の生活保護はどうなっているかというと、生活保護をもらうような貧しい人々に対しては、お金をあげるから、このお金で医療費の自己負担額と、本来支払うべき国民健康保険料を払ってらっしゃいということと同じことになっているんです。今、生活保護費の半分以上が医療費になっているわけです。


 スウェーデンの場合、生活ができない貧しい人々が、生活保護をもらうときに、「私は病人なんですけど」と言っても、生活保護の額は増えません。医療サービスは無料で提供されていますから、カウントする必要がないわけです。「私は子どもを今抱えて育児にお金がかかるんですけれど」と言っても、これも社会的にサービスで育児をやりますから、カウントされないわけです。高齢者を抱えている場合でも同じです。さらに、子どもが大学に行っていても生活保護の額は増えません。教育費は大学まで全部無料だからです。住宅も全部社会サービスで提供されます。生活保護をもらう人は何をもらっているかというと、本人が口にするものと身にまとうものだけです。日本のようにラスト・リゾートの生活保護で何でもかんでも受けると、「あなたは住宅持っているんですか」「持っているのは何と何ですか」と確認して、持っていなければ、どんどん合算していかないといけなくなって額が手厚くなります。額が手厚くなると何が起こるのか。それは、もらっていない人ともらっている人との格差が拡大して、生活保護バッシングにあって、結局減らされていくということになります。


 重要な点は、教育・医療・社会保障などの公共サービスをきちんと提供することが、経済成長も成し遂げるし、格差を拡大しない重要な要因ともなり、新しい産業構造もつくっていくことになるということです。ヨーロッパの国々では積極的労働市場政策で再訓練、再教育を行い、同時に教育がすべて無料になっています。


 必要なことは、「いつでも、だれでも、やり直し」ができる社会をつくることです。今、私の大学に来ている経済史のストックホルムの教授は、50歳までトラックの運転手をしていて、途中で学者になりたくなり、やり直して大学教授になった方です。このように、いつでも「やり直し」がきく社会にすることが大切です。


 たとえば、旋盤工が失業して職業紹介所に行きます。「産業構造が変わったので、プログラマーの仕事しかありませんが、あなた、プログラマーに挑戦してみますか」と言われ、「してみる」と言って挑戦してみると、「試しに雇ってみるか」と雇われて、雇われたときの半年間の給料は政府が出します。それまでその人が得ていた賃金の75%が保障されます。


 そして、今度はその人が「継続して雇用するのはちょっと無理ですね」と言われたときに、雇用を拒否する企業は、ただで半年間働かせたので、この人は、こういう能力とこういう能力を身につけてくれば雇うと言わなければいけないのです。職業紹介所に行って、「あなたはこの職業訓練を受けないとだめなんですから受けますか」と聞かれ、「受けます」と言えば職業訓練を受けることができ、これもただです。さらに、「あなたはもう1回高校からやり直さなくちゃいけないんですけれど」と言われ、「高校からやり直します」と言ったら、その人の生活費は、職業訓練手当として、それまでもらっていた賃金の75%が出ますし、また、教育費はもともとただなので、いつでもやり直せる職業訓練ができ、このことが産業構造を大きく変え、経済成長につながっていくことになるのです。