結婚できず、子どもを産み育てられず、究極の機会不平等「生命の格差」拡大もたらす貧困連鎖 | すくらむ

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 昨日に引き続き、武蔵大学社会学部・橋本健二教授著『貧困連鎖 - 拡大する格差とアンダークラスの出現』(大和書房)の紹介です。(byノックオン)


 「公正な競争の結果として、能力のある人とない人、努力した人としなかった人の間に格差ができるのは当然である。スタートラインが平等であれば、格差があっても問題はない」


 橋本教授は、これが格差拡大を擁護する人たちの主張だとし、格差拡大を擁護する「財界・政府といえども、どうしても否定することのできない、平等に関する原則がある。それは『機会の平等』といわれるものである。なぜ否定できないかというと、機会の平等は格差の拡大を正当化する最大の根拠であり、よりどころになっているからである。機会の平等とは『チャンスの平等』という意味であり、『スタートラインの平等』といいかえることができる。スタートラインがバラバラになっていて、ある人はゴールに近いところから、他の人はゴールに遠いところからスタートするのでは、公正な競争とはいえない。だから、ゴールの近くからスタートした人が先にゴールして賞金をもらったとしても、この賞金は正当な報酬とはいえない。同じスタートラインから、同じ条件でスタートしてはじめて、賞金は正当な報酬といえるのである」と指摘します。


 格差拡大を擁護する財界・政府の主張の大前提となっている「機会の平等」は、本当に日本において保障されているのかという点を、橋本教授はデータにもとづき検証していきます。


 SSM調査(社会階層と移動全国調査)によると、父親の4つの所属階級(①資本家階級6.0%、②新中間階級30.0%、③労働者階級49.3%、④旧中間階級14.7%、数字は調査全体に占める割合)において、子どもの大学進学率が最も高かったのが資本家階級で48.0%、最も低かったのが労働者階級で16.3%(いずれも2005年)。大学進学率の差は約3倍にもなっています。


 また、大阪府の例について次のように指摘します。


 大阪府の橋下徹知事が、全国学力テストの市町村別平均正答率を公表したことが話題になった。大阪府の学力水準向上に向けて、市町村教育委員会の努力を促すためだという。公表された結果をみると、平均点の高いのは豊中市、池田市、箕面市など、低いのは岸和田市、門真市などとなっている。


 あたりまえの結果である。赤ちゃんから高齢者まで含めた、大阪府の一人あたり平均所得は137万円である。これに対して、豊中市は166万円、池田市は165万円、箕面市は189万円で、いずれも平均を大きく上回っている。反対に、岸和田市は118万円、門真市は115万円で、平均を大きく下回り、箕面市に比べれば6割程度にしかならない。


 学力の格差の背景には、地域の経済格差がある。これは、教育現場の努力で解消できるような性格の問題ではない。橋下知事には、表面的な現象の裏にある社会的背景というものが、まったくみえていないのだろう。公表に否定的な市町村や文科省にくってかかるヒマがあったら、国に対して貧困対策でも求めた方がいい。(中略)家庭の経済状態によって学力が左右されるのは、研究者の間では常識だ。


 次に貧困層は、結婚もできなければ、子どもを産み育てることもできない状態にあることをデータで明らかにしています。


 「就業構造基本調査」(2002年)において、収入階級別にみた男性の独身率では、40~44歳の全体平均独身率は18.8%で、5人に1人よりちょっと少ない程度。ところが、所得別にみると、800万円以上だと独身者は6%しかいないのに、所得が100万円未満の場合は、なんと過半数の55.4%が独身です。所得が100万円~200万円は44.9%、200万円~300万円は33.9%。なかには独身主義者もいるだろうけれども、所得の違いによって9倍以上もの差があることを説明できるものではなく、明らかに所得の低い男性は結婚できないことが示されています。


 SSM調査(2005年)の世帯収入別にみた子どものいない人の割合(40歳代)は、収入1050万円以上の男性は9.8%。これに対して、収入が300万円未満の男性は46.2%と半数近くの人は子どもがいません。所得の高低で5倍近くもの差があるのです。


 こうしたデータをうけて、橋本教授は次のように書いています。


 人々が結婚するなどして次世代を産み育て、新しい労働力を形成することを、経済学や社会学では「再生産」という。人間の寿命には限界があり、人はいつかは老いて死んでいく。しかし、人はそれまでの間に次世代の労働力を形成することができる。つまり、人間を再生産する。こうして人間社会は存続していく。


 子どもを産み育てるためのコストは、社会が存続するのに必要不可欠なものである。社会は何らかの形でこのコストを負担しなければならない。だからこそ、賃金は子どもを産み育てるのに最低限必要な金額より多くなければならない。(中略)


 ところが現代のアンダークラスは、もともと再生産の費用を含むことなど想定されていない賃金体系のもとで働いている。つまり、再生産がきわめて困難な状態にある。その多くは子孫を残すことができない。仮に子どもを産み育てることになったとしても、教育費の負担は難しいから、その貧困は次の世代にまで持ち越されていく。そんな巨大な貧困層が、日本の社会に形成されつつあるのである。


 そして、日本福祉大学の平井寛主任研究員と近藤克則教授が65歳以上の男性約1万2千人を4年間(2003~2007年)追跡した結果、所得階層別の5段階で、最も所得が低い第1段階の男性の死亡率は34.6%でした。これは、最も所得が高い第5段階の死亡率11.2%の約3倍、第2段階の15.3%の2倍以上高いことが分かりました。


 橋本教授はこう結論づけています。


 経済的な格差は、生命の格差を生み出す。生命に格差があるということは、実りのある人生、そして実りのある老後を送るチャンスが平等に保障されていないということである。まさに、究極の「機会の不平等」といっていいだろう。こんな格差を前にして、「競争の結果として格差が生まれるのは当然である」と公言できる人がいたとしたら、その人は人格を疑われて当然である。


 格差の拡大は、このように機会の平等を破壊する。したがって格差拡大を擁護する主張は、すでに最大のよりどころを失っているのである。