派遣村が問いかけているもの - 「溜め」が奪われている「貧困」は自己責任を問う前提を欠いている | すくらむ

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 このブログの一昨日のエントリー「派遣村バッシングの死角 - 自分とは違う「溜め」のない人へダイレクトに突き刺さる痛みが見えない」 に、1日だけで6,714のアクセスがありました。内容についても様々な意見が他のサイトで飛びかっていて、とくに「溜め」という概念に関わっての意見が多いので、引き続き、湯浅誠さんが『「生きづらさ」の臨界~“溜め”のある社会へ』(旬報社。河添誠さんとの編著)の中で、「溜め」について別の観点で語っている部分を、いつものサマリーで紹介します。


 自己責任論は自由な選択可能性を前提にしています。お金のある人は食事に際して、「トンカツもエビフライも」自己責任で選ぶことができます。しかし、お金のない人には、「コンビニのおにぎりか、マックのハンバーガーか」というような選択肢しかありません。


 お金だけではなくて、あらゆるものが、選択の自由を条件づける役割を持っています。親などの頼れる人間関係を持たない人には、「保証人が必要なアパートか、保証人不要物件か」を選ぶ自由はありません。学歴の低い人には、「大企業正社員か、フリーターか」という選択肢はありません。家のない人には、「家に帰って寝るか、ネットカフェに泊まるか」という選択肢はありません。


 貧困状態に追い込まれている人たちには、「溜め」が奪われているので、選択の自由がなく、自己責任を問う前提を欠いているのです。


 たとえば、歩道の段差をなくす、階段にエレベーターを設置するなどのバリアフリーで考えると、バリアフリーが貫徹した地域では、障害を持った人たちが自由に街を出歩くことができます。逆にバリアフリーが行われていない地域では、少なからぬ人々が不自由な思いをします。このとき、「自由」「不自由」は個人の属性ではなく、地域社会との相関関係において決まります。相関関係ですから、地域社会のバリアフリーが行われないと、個人の「自由」は成り立ちません。


 同じように、貧困も個人と社会の相関関係です。相関関係である以上、社会の「溜め」が増えない限り、個人の「溜め」だけが増えることはありません。


 ですから、貧困に追い込まれた「溜め」のない個人の状態を回復するという問題を、個人的なレベルで片付けることはできないのです。


 貧困状態にある人たちの存在が問いかけているのは、何よりも社会の責任なのだ、ということを認識しなければなりません。障害のある人への対応として社会自身の責任としてバリアフリー化が必要であるように、貧困状態にある人たちの存在は、社会自身の貧困(「溜め」のなさ)の現れであり、それへの対処として数々の貧困対策が要求されています。社会的排除に対置される社会的包摂とは、社会自身の変容(「溜め」の回復)をともなって初めて可能になるのです。


 そして、1月4日の『読売新聞』では、「生きる希望、派遣村がくれた…失業・自殺未遂から再起誓う」と題し、次のように報道しています。


 職や住居を失った人たちが身を寄せる東京・日比谷公園の「年越し派遣村」には、3日も新たに入村する人たちが相次いだ。


 入村者の中に、生きることに絶望し、元日に自殺を図るまで追いつめられた男性(46)がいた。家庭崩壊、長年のネットカフェ生活、そして失職。男性は、偶然知った「派遣村」で励まされ、「もう一度生きてみよう」と自分に言い聞かせていた--。


 「もう仕事はない」。日雇い派遣労働者だった男性が派遣元の担当者から告げられたのは、昨年末のクリスマスイブだった。約7年間続けた製本の仕事は日当6,840円。週5日働いてきたが、泊まり続けたネットカフェは1日1,000円以上かかった。大みそかの朝、所持金は200円になっていた。「もう死ぬしかない」。あてもなく歩き始めた。(中略)


 今年元日。イヤホンでラジオを聞きながら歩き続けた男性は、午後5時ごろ、羽田空港近くの木の生い茂った歩道にたどりついた。上京後、初めてデートした公園のそばだった。高い木を選んで枝にベルトをくくりつけ、自分の首に巻き付けた。


 だが、ベルトのバックルが壊れ、一命を取り留めた。放心状態で聞いていたラジオから「派遣村」を紹介するリポーターの声が聞こえた。


 「派遣村にどんどん人が集まっています。今、さまよっている人でも、ここに来ればなんとかなるかもしれません」


 日比谷公園をめざして歩き始め、夜10時頃、公園に着いた。ボランティアの女性からおにぎりと温かいお茶を手渡されると、涙がこみ上げてきた。


 同村で弁護士に住民票を持っていないことを明かすと、「そういう人を守るのが法律です。ともにがんばりましょう」と励まされた。


 男性は派遣村が終了する5日、生活保護を申請する。「多くの人の温かさに触れた。もう一度、頑張ってみます」。そう誓った。


 この男性は、湯浅さんが語っているように、「溜め」を奪われ、年末年始の寒空に路上へ放り出され、「自殺か、年越し派遣村か」という選択肢しかないような貧困状態にまで追い込まれていたといえるでしょう。いま大量の「派遣切り」などで、自由な選択可能性のない、「溜め」を奪われる貧困状態の人たちが生み出されています。こうした貧困の存在は、社会自身の貧困(「溜め」のなさ)の現れであり、当事者の自己責任ではなく、社会の責任こそが問われていることを示しているのです。
(byノックオン)