自殺は自己責任でなく「困窮死」「社会死」~10年間連続毎日90人が自殺する情け容赦なき日本社会 | すくらむ

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 「働くもののいのちと健康を守る全国センター」が発行している『全国センター通信』(10/1)に、NPO法人・自殺対策支援センターライフリンクが主催した「WHO世界自殺予防デーシンポジウム『自殺実態白書』から見えてきたこと」(9月14日開催)の内容が紹介されています。


 シンポジウムの中での東京大学大学院教授・姜尚中(カンサンジュン)さんの発言が興味深かったので紹介します。


 「自殺」というと個人が自分の意思で選択した「死」という印象が強い。しかし、自殺は、個人が現実には生き続けたいのに、経済的・精神的に追いつめられた結果起きる社会的なもので、「困窮死」「社会死」と呼ぶべきものではないか。


 『自殺実態白書』によると、愛知県豊田市など工業地帯、企業城下町とされる地域での自殺者が多い。とりわけ、製造業のリーディングカンパニーにおける職場実態の解明、労働実態のリスクを明らかにすべきだ。日本のマスコミは、こうした大企業の問題を解明するどころか、プロモーターと化してしまっている。


 日本には、映画『ALWAYS三丁目の夕日』にあるような社会的包摂性は実は存在せず、企業丸抱え体質で社会保障的なものを実現してきたが、グローバル化、新自由主義によって社会保障的部分はごっそり抜け落ちるという企業の変質とともに、世界に例のない“情け容赦ない社会”であることが露呈したのではないか。ここにこそ社会問題としての本質があるのに、生きるも死ぬも自己責任という考え方自体がおかしい。


 「あの人が自殺したのはあなたのせい」など身内からも責められる遺族の例にもあるように、自殺について社会的な問題として発言できないような構造があった。しかし、正規労働者の非正規化、派遣労働者化など、労働力を代替可能化する雇用環境の変化、劣化が進行し、労働者が使い捨てられ、労働者側に自分は見捨てられているという意識が広がり、そうした人間を使い捨てる構造によって自殺に追い込まれていくような状況が社会全体に蔓延しているのではないか。(東京大学大学院教授・姜尚中さん談)


 シンポジウム全体をとおして共通して語られたことは、①みずから命を絶つ人が10年連続で年間3万人を超えている(この10年間毎日90人が自殺で亡くなっていることになる。交通事故死者数のおよそ6倍)という日本の異常さ、②自殺の問題は、自己責任でなく、社会的責任として解決していくことが求められていること、③それぞれが共に生きる=共生、ライフリンクすることの大切さなどです。


(byノックオン)