生きづらさ、貧困は決して自己責任ではない | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 作家の雨宮処凛さんが雑誌『世界』10月号(なだいなだ氏〈作家・精神科医〉との対談「相互扶助が自己責任論を打ち砕く!」)で、「自己責任論」に関わっての自らの認識と行動の発展について語っています。


 処凛さんは、ワーキングプアやネットカフェ難民、プレカリアートなどの言葉がまだ生まれていないとき、自分自身もロストジェネレーションとして「生きづらさ」を抱える中で、若い世代の自殺やリストカットについて取材を進め、自殺を志願する人とたくさん出会い、実際に死んでしまった人も多く見てきました。どうして自殺を願うようになってしまうのか、当時の処凛さんは、若者の心の問題としてだけ考えていました。若者は、フリーターでいると「だらしない」などと言ってバッシングされ、親にもしかられ、まさに自己責任として周囲から責めたてられるという状況にありました。


 しかし、2年前に処凛さんは、「生きさせろ」という若者の言葉に出会います。フリーターのデモに参加し、まともに働いても家賃も払えない、食べていけない、生きていけないという現実を目の当たりにしたのです。所持金が10円とか20円しかない人がネットカフェの代金を払えずに逮捕されていく事件が立て続けに起き、同世代のホームレス化が始まっていると思って運動にかかわるようになっていきます。


 運動にかかわる中で、若者の自殺やリストカットにあらわれる精神的な不安定さの背景には生活や仕事の不安定さがある、さらにはその背景には構造的な問題があることに気づきます。「自殺の問題を突きつめていって、新自由主義的な社会のありかたにたどりついた」のです。


 そして、対談の最後に処凛さんは次のように語っています。


 いま、学校では「フリーターになるな」と教育していますが、24歳以下の非正規雇用率って50%あるんですよ。必ず2人に1人がフリーターになる状況なのだから、フリーターとしてどう権利を守っていくかを教えて欲しいですね。その上で、今の過労死しそうな正社員か、ネットカフェ難民前提の非正規雇用かという二択は明らかにおかしいので、変えていこうというふうに伝えないと若い人たちはより追い詰められてしまう。「フリーターになるな」と言っても、そのフリーターを安く使い倒して暴利をむさぼっているのは誰なのか、そしてなぜそれが容認されているのか、そこまで問いたいです。また、世代を超えて広がっている貧困の問題が決して自己責任ではないことも伝えていきたいですね。厳しい状態にある貧困者が見捨てられていく状況を「見せしめ」のように見せられて、死ぬほどの長時間労働に追い立てられているような状況は、決して人間的ではないと思いますから。


(byノックオン)