集団的自衛権について考える16 | 徳政・魂声・乱世

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うえなか康司の政策、思いを訴えていきます。

各国それぞれの事情をおしなべて、「軍事力」を比べたときに、戦争が起きないような状態をあらかじめ用意しておくことがなによりも重要だということであり、そのような考え方が世界ではなされています。

 日本以外の国々では、仮にいま現在敵対する国がなかったとしても、あらかじめそのように周辺国との関係が悪化したときのために備えてそれなりの軍備を整え、軍事同盟に参加するなど、「抑止力」の強化に努めているのです。そういう意味では日本国民は、過去の戦争の歴史に対する過度な反省から自国の都合ばかりを考えるようになってしまっているといわざるをえません。

 つまり、「憲法9条」によって平和がもたらされている、という日本国民の思い込みは単なる「独善」ということではないしょうか。
 では、「集団的自衛権」は周辺地域の「抑止力」にどれだけ貢献するものなのでしょうか。集団的自衛権の行使を容認するために、前述のように地域の抑止力低下をもたらす憲法9条の解釈を変更しました。(本来であれば、憲法を改正すべきでしたが…)これにより、ある程度は「抑止力」が強化されることが予測されます。
 ただし、アメリカの戦争に付き合わされる危険性などを排除するために、集団的自衛権の「限定的な容認」ということになりましたので、その分だけ「抑止力」も控え目なものになりそうです。

 それは、「限定的な容認」ですので、集団的自衛権の行使で「できること」を限定してしまっているので、集団的自衛権の行使によりどんなことでも出来る場合に比べると、その出来ないことがある分だけ「抑止力」としての働きも弱まるからです。また、どれだけ抑止力を引き出せるかは、周辺諸国との力関係を見極めて行われる今後の法整備や周辺国との同盟関係の見直しや、新たな同盟関係の構築等にもかかっているといえるでしょう。