殺意とは? 認識のずれ? | 何事も楽しく、過ごしたい。

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先週の日曜に起きた秋葉原の無差別殺人の事件。被害にあわれた方は本当にお気の毒で言葉にできないくらいである。

今回の事件は、事件の準備は入念で、ネットに逐一書き込みしていたりと妙に冷静である。その気力はどこからくるのか、これから、明らかになってくるのかわからないが、今後の報道しだいである。

いつも、こういった事件がおきると、犯行の動機はなにか、という話題になるが、今回のような事件に果たして直接的な動機があるのか疑問である。普通の感覚なら人を殺すという行為はかなりのエネルギーを使うもので、その殺意が大きくてもなかなか実行できないものだ。今回のように誰でもいいから殺したかったというの一般の感覚からはかなり遠いものだ。こういう言い方をすると、ありふれているが、一種のゲーム感覚のだろう。人を殺すという行為にいたるハードルが非常に低く、ゲームなどの架空と現実の境界線が揺らいでいるのだろうか。

日本人は宗教的観念が薄いので、なぜ人をころしてはいけないのかという問いに答えにくいところがあるのだろう。キリスト教社会では、人もみな神によって命を与えられているので、他人もまた自分も殺すことは、重罪なのだ。そういった当たり前のことを見直さなければいけない時期にきてるのだろうか。