オトナがオトナとしての責任と役割を果たせぬままに...。~今月の二冊目は佐藤正午の『ビコーズ』~ | What happened is all good

オトナがオトナとしての責任と役割を果たせぬままに...。~今月の二冊目は佐藤正午の『ビコーズ』~

このところ週末に、撮影、イベントといった仕事や会社行事が続き、ほとんど週末らしい週末を送ることが出来なかった....。






そして明日も朝一番から大切なプレゼンということもあり、今日も10時くらいに我が家を出て、オフィスで簡単な準備を行い、昼過ぎに仕事を終えて、再び高円寺に戻って、買い物を済ませ、掃除をして、洗濯をして、今週のお弁当の仕込みなど、所謂、家事全般というものに臨んでいる....。





ようやく、週末らしい週末を迎え、過ごしている。






昨日なんて、本当に疲れがピークに達していたせいで、久しぶりにほとんど1日中、死んだように眠っていた....。






やはり、40を過ぎて、三週連続で週末なしという生活はなかなか体力的には堪えるものである。





とはいえ、まぁそれだけ「やるべきこと」があるということだけに、実は決して嫌ではなく、むしろ楽しかったり、嬉しかったりするわけだし、やるべきことことなんて何もなくて、ただ暇で仕方ないという一日を過ごさなくていいことを幸せにも思う....。




さて、今日オフィスから戻ってくる間に、そんな慌しさに追われていたせいで、なかなかページが進まなかった今月の二冊目となるこの小説を読み終えた。



『ビコーズ』 (光文社文庫)/光文社 佐藤正午

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この小説は今から24年も前に発表されたデビュー作、『永遠の1/2』に次ぐ、彼にとって二作目の小説である。




特に理由はないのだけれど、デビュー作となる「永遠の1/2』以来、佐藤正午の小説というのをまともに読んでいなかった。




まぁ今から24年も前に描かれた小説なのだから、どうにも仕方ないことなのだけれど、この小説は、一言で言うと、実に陳腐なストーリーだった。




主人公である、デビュー三作目の小説を描くにあったて何も書けない状態にある29歳の小説家は身勝手で、尊大で、わがままで、エゴの塊で、無計画で、無軌道な日々を送っている。




とある友人との再会をきっかけとして、10年前に起こったとある青春の悲哀の記憶を手繰り再生へと向かう話である。




ここで重要なことというのは、この陳腐なストーリーが果たして小説として完成度が低いかとういとそういうわけではない。




あえて陳腐にストーリーをすすめることによって、この小説は小説としての完成度を高め、最後には僕の記憶に燦然の残る、小説となっていた。




平たくいうなら、この小説家が再生へと向かうにあたっては、二人の大人が大きく寄与することになる。




一人は、祖母であり、一人は叔母である。




この小説を読んで昔はよかったなどと別にノスタルジーに浸るつもりはない。




けれど、今から24年前のオトナたちは、実に立派で、実に包容力があり、オトナとしての使命と責任とその役割をきちんと果たしていた。




身勝手で、尊大で、わがままで、エゴの塊で、無計画で、無軌道な日々を送っている餓鬼を再生に向かわせるだけの力を持ち合わせていた....。




この小説を読んで、現代社会の病理が凛然と浮かび上がってくる....。




今や家族の結束や絆というものは寸断され、更に地域のコミュニティの崩壊し、個が個として追うべき責任は増す一方になる。でありながら、十分なオトナとして成熟しないままにオトナへと成長を果たしてしまった。そして、オトナとしての使命や責任やその役割を果たせないでいる。これは僕の自省も含めてであるが、誰もが子供のままである一定の年齢を迎えてしまい、家族や社会に対する責任も果たせぬままに多くの者たちが漂流してしまっているのである。






社会は洗練され、成熟し、成長を迎えた....。




となると、生き残りをかけた高いレベルでの戦略性が必要になる。個は個の資質、能力、スキルを追い求めることが必要になる。かつて、それは家族が理解しあい互いに助け合うことで補完されていった。夫が臨んでいる仕事もさほど難しくはなかった。たいていの問題が夫が部下を家に招き、妻は部下に対して、美味しい料理や酒の肴を創ることによって解決できた。夫の話に耳を傾けても、たいていのことは理解できた。理解できる程度の問題や課題しかなかったから....。





けれど、夫がIFRS(国際財務報告基準、国際会計基準)の任意適用拡大を求める「中間論点整理」を公表後、初めての開催された金融庁 企業会計審議会総会・企画調整部会合同会議の内容が今後どう自社会計bに影響を与えるのか?ということに悩んでいたとしても、当然、金融、会計のプロでない限りそれに関する最適な答えはアドバイスできないだろうし、デバイスツールの進化に伴うHTML5の汎用化に伴い、ブラウザでのコンテンツ表現はどのような方向性に進めばよいかについて夫が悩んでいたとしてもそれに答えられる妻はほとんどいないだろう.....。




つまり、個が負うべき責任や課題は難解化し、それに対応してゆくためのスキルは高められても、本当に備えるべき、家長として資質や精神性というものを備えられないまま、つまり備える余裕もないまま、家族も家庭も分断されてゆくのである....。




家族がいる、家庭があるにも関わらず拭い去ることの出来ない孤独....。





かといって、その流れを止めることなど誰も出来るはずなどない。





家族や地域コミュニティとの分断という問題に対して社会全体として取り組まなければならない課題は山積している。




と同時にこの成熟し、洗練され、成長を迎えた今の時代に、家族や社会が歩むべきその道筋について、個々がある程度、創意工夫というものを行わなければ、失われつつある精神性など取り戻すことはできない。





成熟し、洗練され、成長し、効率と利便の追求は留まるところを知らない。




けれど、失うべきでない精神性の問題に関してもある意味においては自己責任でしかない。




失われてはならない精神性の追求など、社会的な命題になどなり得ない。



だからこそ、自らの意思をもってその課題に臨むしかない....。