コミュニケーションは"偶然という必然"の中で生まれる。~企業の論理をお客様へ押し付けてはない~ | What happened is all good

コミュニケーションは"偶然という必然"の中で生まれる。~企業の論理をお客様へ押し付けてはない~

商品やサービスに対するロイヤリティを醸成するといった時に本当に考えなくてはならないことって一体何なんだろう?

フリークエンシーの向上施策として、我々は時によく、マスト・バイ・クローズドというキャンペーンの手法を提案するけれども、実はこれ、ある程度認知や理解が進みロイヤリティというものがきちんと培われた中で実施するには極めて効果的な施策といえる。

ところが、ロイヤリティそのものが根付いていない段階で、フリークエンシーを向上させるためにこれを実施するというのは、単に"仕掛け"や"仕組み"が購買を呼んでいるだけであって、本当にそのブランド、商品やサービスのファンになっているから、購買に至っているというわけではなかったりする。

だから、正直、認知がまだまだ行き届いていなくて、そのブランド、商品やサービスに対する理解が及んでいないという際には、徹底的なその商品やサービスのよさを知ってもらうことが先決になる。

認知、理解そのものが及んでいないブランド、商品やサービスがマストバイ・クローズドキャンペーンを行うとするならば、結局、瞬間的なフリークエンシーを稼げたとしても、キャンペーンが終了した段階でロイヤリティなるものは消え去って、他に変わる、ブランド、商品やサービスへのスイッチが行われてしまうことになり、フリークエンシーを稼ぎ続けるためには結局、マストバイクローズドキャンペーンを実施し続けなければならないということになる...。

その最たる例が、缶コーヒーや清涼飲料水たちの泥沼のキャンペーン合戦なのである...。

それはさておき、本当にロイヤリティを高めるためにはどうすればよいか?

ここで重要なのが、Webというメディアやリソースをフルに活用することである。

Webならではのインタラクティブなコミュニケーションというのは、テレビやラジオ、新聞や雑誌という限られた時間や限られたスペースに留まることなく、思う存分商品の認知や理解を深めるあの手この手が打てるわけだし、更にその双方向性というのは、同じ生活者の視点からの客観的な評価=ユーザビリティというのが表出してくる。

「WebにはROIを高めるには有効的だが、ブランディングにはあまり向かない」という意見を持つオールドアドプレーヤーも未だ多く存在するようだが、実際には、ブランド、商品やサービスに対するロイヤリティを醸成するという点において、非常に有効なメディアでありリソースであると僕は思う。

特に、CGMやSNSというソーシャルなコミュニケーションが活発化してきた昨今、本当の意味でブランド力を持つ、ブランド、商品やサービスが生き残る時代が到来したように思う。

つまり、ソーシャルにおける客観的なブランド評価=ユーザビリティの表出というのは、それこそ、ブランド、商品やサービスを"自分ごと化"するに有効なコミュニケーションとなる。

けれど、ソーシャルコミュニケーションを実施する際に所謂、種まき=シーディングという手法が多用されるケースが多々あるが、それはある意味、第三者を活用した企業側の論理の押し付けになることが非常に多い...。

ソーシャルを活用したコミュニケーションにおいては、生活者がブランド、商品やサービスに触れたその使用実感、驚きや歓びが重要であり、それが仕組まれたもの、仕込まれたものであれば、賢い生活者はすぐに見抜く...。

従って、ソーシャル・コミュニケーションにおいて本当に重要なことというのは、まず企業が生活者、お客様の視点にたち、歩み寄るという姿勢である...。

更に、ブログを活用したりTWITTERを活用する際に見落としてはならない重要な視点というのは、なぜそのブログやツイートが着目されるか?という点であり、それは内容が充実していることはともかく、それを書く人、呟く人のキャラクターこそが重要なのである。

人は人に振れ、人になびく...。

その基本を忘れてはならない。

今や、Webコミュニケーションの進化により、趣味や嗜好、思考、志向で人と人とが繋がることは、もはや偶然ではなく必然となった。

つまり、その"偶然という必然"を機会と捉えたコミュニケーションの進化と深化こそが重要である。

じゃあ、そのためにどうすればいいか?ということはここに書けるわけが無い...。

なにせ、それが僕のご飯の糧なのだから...。