WALK DON'T RUN  ~ベンチャーズの「急がば回れ」のためのBGM ~ | What happened is all good

WALK DON'T RUN  ~ベンチャーズの「急がば回れ」のためのBGM ~

 『WALK DON'T RUN』は村上龍VS村上春樹の対談集であると同時に、60年代にエレキ少年を魅了したベンチャーズの代表的なヒットソング、「急がば回れ」という曲の原題でもある...。

 先日、僕は起業を試みるある大学生と知り合うことが出来た。僕がある広告会社の創業メンバーの一人となったということを聴きつけて、とある人間が僕を紹介したのである。

 彼は驚くほどに自分の将来設計を緻密に設計していてそりゃあ大層立派だなぁと感心はした。けれど、僕は別に共感を抱かなかった。

 彼の起業プランというのはまだ日本に浸透していないあるハードウェアを大量に売りさばき、それを元手に自分のやりたい事業(外食、アミューズメント、エンタテインメント)に投資を行い、ゆくゆくはIPOを果たしたいというのである。

 僕がどうして、「そりゃいいんじゃない。まぁ好きにすれば。」くらいのコメントしか残せなかったかというと、彼の前には顧客、つまり誰かを幸せにするその対象が何処にも存在しないからである。そのハードウェアを使うことによって顧客にどんな便益がもたらされて、どれだけそれを使う人のストレスが軽減され満足が得られるか?に主眼はなく、ただそれを「売りつける」ことによって得られる「報酬」にしか興味がないのである...。

 次なる事業展開も結局は自分の「趣味」でしかなく、そこにも顧客の姿は見えてこない...。

 一体、誰に対して自分の「趣味」を押し付けて、その「趣味」でどれだけの人に喜びと価値を提供できるというのだろうか?お金を払ってもよいと満足できるだけの「価値」がその趣味には見出すことはできないのである...。

 彼はFX投資によって小金を稼ぎ出してしまった。会社を本気で経営してみればよくわかるけれど、資本金の1000万円なんて、あっという間に運転資金として尽きてしまう。財務的な知識もほとんど無いにも関わらず、今更就職して一から社会やビジネスを学ぶよりは、自らが経営者となってしまったほうが手っ取り早いと判断したというのである。更に唖然としたのは、「そのハードウェア、誰が売るの?」と言う質問に対して、
 「今なんて、仕事に溢れた派遣の人が仕事にあぶれてます。その人たちにフルコミッション(成果報酬)で働いてもらいます。」というのである。

 「で、君は何するの?」

 「僕、僕ですか、適当に会社に出てジムに通い、次の事業計画を創ります。」

 「君は、そのハードウェア、売らないの?」

 「ええ。だって今、仕事欲しい人、世の中に溢れてるでしょう。別に僕がわざわざ汗水たらす必要なんて何処にも無い...。」

 まぁこんな考えで起業したとするならば、ほんの一瞬で潰れてしまう...。いや、潰れてしまえ!。もしこんな考えで起業して生き延びたとするならば、この国の経済システムそのものが崩壊している...。

 結局、彼も人を人とは思っていない。人はモノでしかないのである。我々はどんな仕事においても、他の誰かに便益をもたらす、つまり誰かの役に立っているから報酬を手にしているのだと僕は思っている。誰の役にも立とうとせず、人に苦労を押し付けて、自分は適当にジムに通って、別のこと考えている奴が成功するはずなど無い...。

 この世の中で、本当に成功した人々には、それぞれの拭い去れない強烈で熾烈で過酷な現実と向き合っている。その拭い去れない強烈で熾烈で過酷な現実に向かい合うこともなく逃げてばかりいる人間が本当の充実や幸せや成功の価値を理解できるのだろうか?

 人間、焦ってはいけない。今、思いとおりにならない厳しい現実に向き合いながら明日への希望を捨てることなくただ直向に前を向いて進んでいる人の方が、何の苦労もなくただ毎日を漫然と過ごし報酬を手にしている人間よりもよっぽど魅力があると僕は思う...。僕だってまだ、使命を果たすその途上にしかない..。

 「成功」とは「報酬」なのだろうか?「成功」とは「起業しIPOを図ること」なのだろうか?

 「成功」とは自分の努力ではなく、他人に嫌なことを押し付けてなし得るものなのだろうか?

 仮に、莫大な報酬を得て、IPOを果たし、結局は自分はまったく、苦労や失敗もせずして勝ち得た成功を成功だとは思わない。

 そういう人生を送りたい奴は、勝手にそういう人生を歩めばいい。

 僕はただ自分の使命に対して喘ぎ、苦しみ、もがき、失敗をしながらでも、誰かの幸せに貢献できる人生を送りたい。

 「簡単に手に入る者に何の価値も無い」 from ”ワイオミングの兄弟” By Ryu Murakami.