失われた10年いや15年で本当に「失われた」のは人と人との”絆”であると僕は思う...。
昨日のカンブリア宮殿の終盤では、島根県、石見銀山の直ぐ近くで事故や病気で、手や足や皮膚を失った人に義手や義足や人口の皮膚を提供する企業である中村ブレイズが取り上げられていた。
ここで取り上げられていた、中村社長と、とある社員と、農作業中の不慮の事故で左足を失ってしまった老人とが培ったその「絆」に僕は思わず胸が熱くなった。そして僕は日常の中で何か大切なものを見失っていたような気がした...。
農作業中に不慮の事故で左足を失った老人はもう一度自らの足で大地を踏みしめたいと義足をつけることを決意する。老人はため息ながらにこう話す。「親から貰った足を100とするならば、今度くる足も限りなく100に近いものであって欲しい。」と...。
その老人の義足つくりに名乗りを上げたのが、中村ブレイズで26年の長きにわたって義足つくりのプロとしてその仕事に携わってきた大森さんだった。実は大森さん、高校生の時に両足を切断するという不慮の事故に見舞われた。その際に、大森さんに義足を提供したのが、少しでも困難に直面している人の力になりたいと、中村ブレイズをたったひとりで立ち上げた中村社長その人だった。大森さんは絶望の淵に立たされてたにもかかわらず、中村社長は丁寧に根気よく大森さんの「義足」を創り上げた。その結果、大森さんはなんとその義足でちゃんと立って歩けるようにまでなったのである。そして高校を卒業した大森さんは、自分も自分のような困難に直面した人の力になりたいと自らの意志で中村ブレイズの社員として働くことを決意するのである。
その時を振り返って、「技術でなく心を売る」という中村社長は「いやぁ、本当に嬉しかったですよ。彼がね、そんな風に考えたなんてねぇ。自分もただ一生懸命だったけれど、彼が自分と同じような気持ちになってくれるとはねぇ。」と感慨深げである。
さて、義足つくりは順調に進む。最期の仕上げの段階で大森さんは残された足と義足が接する部分を丹念に丹念に削ってゆく。「ここが一番大切なんです。皮膚が食い込むと痛いですから。」と。
そしていよいよ義足がその老人に手渡される日。老人は大森さんが来るのを今か今かと待ちわびていた。そして、大森さんから渡された義足をはめ、なんとその場で立ち上がろうとする...。
本来であれば平行棒等のリハビリ器具を使って徐々に慣らしてゆくものである...。
ところが、老人はなんとその場で立ち上がれることが出来たのである。
きっと、親からもらった足を100とした際に、大森さんが作ってくれた義足というのは限りなく100に近かったのだろう。感慨のあまり老人の目からは涙が零れ落ちていた...。
それから半年後、その老人は石見銀山の大森さんのところを訪れていた。驚くことに、ご自分でクルマを運転されてわざわざ石見銀山まで来られたとうのである。義足というのは、筋肉の成長と共に調整が必要だという。
「これからはたびたび大森さんに会いにこんにゃあいけませんのぉ。」
「また、元気なお顔をみせてください。」
「ええ、私も大森さんを見習って頑張ります。」
義足をはめた老人と義足を提供した大森さんの堅く結び付られた”絆”はその命の限り永遠に続くのである...。
バブルの熱狂から一夜あけた、饗宴の後に押し寄せた波は人々から一気にいろいろなものを奪い取っていた。「金」「土地」「株」「資産」「会社」「システム」...。それまで「投資」と「投機」に奔走していた人々はいろいろなものを「合理化」という名の下に締め付けていった。勿論、そうでなければあの惨劇を乗り越えることなど出来るわけがない。けれど、失われてはならないものまでが失われてしまった。それが人と人との「絆」であると僕は思う。
泡と消えた様々な価値を取り戻すには仕方の無いことかもしれない。
けれど、新橋の路上でマイクを向けたサラリーマンが「いつ会社に首を切られてみ仕方ない。」「明日はわが身かもしれないという意識は常にある。」と働くことにさえ怯えながら日常を過ごさなければならないのが果たして正しいことなのだろうか?
その背景には、市場原理主義の台頭による、株主至上主義における社員からの主権の剥奪や働く者を人とも思わず「モノ」におきかえてしまった企業の効率化、合理化が非常に大きな要因として挙げられる。もはや企業には社員の幸せをコミットする余裕もゆとりも何処にも無い。となると、被雇用側は雇用側に対して結局、自己の信念や希望や情熱とは関係なく、雇用側の都合にあわせるしかなくなる。
これでは企業と働く側とにおいて「絆」が深まるわけがない。
けれど働く側も「まぁたいした努力をせずとも会社がなんとかしてくれるだろう!」という甘えがあったのも事実である。自己研鑽や自浄努力の必要もなく一生の安定が待っているという幻想に酔いしれてはいなかっただろうか?
これから本当に生き残ってゆける企業とは、被雇用側と雇用側が共感できる理念やビジョンを共有し、目標に向かって互いに挑戦できる企業である。
働く側が、報酬や待遇などではなく、「やりがい」や「使命感」や「存在理由」を働くことに見出せるかどうかである。
企業は社会に貢献するために存在する。つまり自分が会社に貢献することは社会に貢献することである。
人が変えがたい歓びを得る瞬間とは一体どんな時だろうか?
それは自分が誰かに対して役に立っている。誰かに必要とされ、その役割を果たしていると実感できるその瞬間である。
会社がそれを見失うことがなければ、そこに居る人々もそれを見失うことはないだろう。
その連続が”絆”を育むと僕は思う。
ここで取り上げられていた、中村社長と、とある社員と、農作業中の不慮の事故で左足を失ってしまった老人とが培ったその「絆」に僕は思わず胸が熱くなった。そして僕は日常の中で何か大切なものを見失っていたような気がした...。
農作業中に不慮の事故で左足を失った老人はもう一度自らの足で大地を踏みしめたいと義足をつけることを決意する。老人はため息ながらにこう話す。「親から貰った足を100とするならば、今度くる足も限りなく100に近いものであって欲しい。」と...。
その老人の義足つくりに名乗りを上げたのが、中村ブレイズで26年の長きにわたって義足つくりのプロとしてその仕事に携わってきた大森さんだった。実は大森さん、高校生の時に両足を切断するという不慮の事故に見舞われた。その際に、大森さんに義足を提供したのが、少しでも困難に直面している人の力になりたいと、中村ブレイズをたったひとりで立ち上げた中村社長その人だった。大森さんは絶望の淵に立たされてたにもかかわらず、中村社長は丁寧に根気よく大森さんの「義足」を創り上げた。その結果、大森さんはなんとその義足でちゃんと立って歩けるようにまでなったのである。そして高校を卒業した大森さんは、自分も自分のような困難に直面した人の力になりたいと自らの意志で中村ブレイズの社員として働くことを決意するのである。
その時を振り返って、「技術でなく心を売る」という中村社長は「いやぁ、本当に嬉しかったですよ。彼がね、そんな風に考えたなんてねぇ。自分もただ一生懸命だったけれど、彼が自分と同じような気持ちになってくれるとはねぇ。」と感慨深げである。
さて、義足つくりは順調に進む。最期の仕上げの段階で大森さんは残された足と義足が接する部分を丹念に丹念に削ってゆく。「ここが一番大切なんです。皮膚が食い込むと痛いですから。」と。
そしていよいよ義足がその老人に手渡される日。老人は大森さんが来るのを今か今かと待ちわびていた。そして、大森さんから渡された義足をはめ、なんとその場で立ち上がろうとする...。
本来であれば平行棒等のリハビリ器具を使って徐々に慣らしてゆくものである...。
ところが、老人はなんとその場で立ち上がれることが出来たのである。
きっと、親からもらった足を100とした際に、大森さんが作ってくれた義足というのは限りなく100に近かったのだろう。感慨のあまり老人の目からは涙が零れ落ちていた...。
それから半年後、その老人は石見銀山の大森さんのところを訪れていた。驚くことに、ご自分でクルマを運転されてわざわざ石見銀山まで来られたとうのである。義足というのは、筋肉の成長と共に調整が必要だという。
「これからはたびたび大森さんに会いにこんにゃあいけませんのぉ。」
「また、元気なお顔をみせてください。」
「ええ、私も大森さんを見習って頑張ります。」
義足をはめた老人と義足を提供した大森さんの堅く結び付られた”絆”はその命の限り永遠に続くのである...。
バブルの熱狂から一夜あけた、饗宴の後に押し寄せた波は人々から一気にいろいろなものを奪い取っていた。「金」「土地」「株」「資産」「会社」「システム」...。それまで「投資」と「投機」に奔走していた人々はいろいろなものを「合理化」という名の下に締め付けていった。勿論、そうでなければあの惨劇を乗り越えることなど出来るわけがない。けれど、失われてはならないものまでが失われてしまった。それが人と人との「絆」であると僕は思う。
泡と消えた様々な価値を取り戻すには仕方の無いことかもしれない。
けれど、新橋の路上でマイクを向けたサラリーマンが「いつ会社に首を切られてみ仕方ない。」「明日はわが身かもしれないという意識は常にある。」と働くことにさえ怯えながら日常を過ごさなければならないのが果たして正しいことなのだろうか?
その背景には、市場原理主義の台頭による、株主至上主義における社員からの主権の剥奪や働く者を人とも思わず「モノ」におきかえてしまった企業の効率化、合理化が非常に大きな要因として挙げられる。もはや企業には社員の幸せをコミットする余裕もゆとりも何処にも無い。となると、被雇用側は雇用側に対して結局、自己の信念や希望や情熱とは関係なく、雇用側の都合にあわせるしかなくなる。
これでは企業と働く側とにおいて「絆」が深まるわけがない。
けれど働く側も「まぁたいした努力をせずとも会社がなんとかしてくれるだろう!」という甘えがあったのも事実である。自己研鑽や自浄努力の必要もなく一生の安定が待っているという幻想に酔いしれてはいなかっただろうか?
これから本当に生き残ってゆける企業とは、被雇用側と雇用側が共感できる理念やビジョンを共有し、目標に向かって互いに挑戦できる企業である。
働く側が、報酬や待遇などではなく、「やりがい」や「使命感」や「存在理由」を働くことに見出せるかどうかである。
企業は社会に貢献するために存在する。つまり自分が会社に貢献することは社会に貢献することである。
人が変えがたい歓びを得る瞬間とは一体どんな時だろうか?
それは自分が誰かに対して役に立っている。誰かに必要とされ、その役割を果たしていると実感できるその瞬間である。
会社がそれを見失うことがなければ、そこに居る人々もそれを見失うことはないだろう。
その連続が”絆”を育むと僕は思う。