「Thank you」と「You're wellcome」が街に溢れる社会であるために...。 | What happened is all good

「Thank you」と「You're wellcome」が街に溢れる社会であるために...。

 夕方、打ち合わせを終えて地下鉄に乗り、何気なく周囲を見渡してみる。誰もがなんだかとても疲れていて、友達同士で会話をするなんて光景も見られず、誰もが黙って俯いたままである...。なんだかため息をつくことさえも許してもらえそうも無いというこの独特の空気感に時々本当に息がつまりそうになる...。

 ランチの時、新たに我々で進めてゆく事業領域に話が及んだ際に、メディア部員の後輩社員Kが切実に「人の役に立つ仕事がしたい。」ということを切々と語っていた...。

 ”もし仮に、自分の支えてくれる「仕事」から見放されてしまったら、どうなることだろうと不安に思う。特に女性はこの社会で生活をするのが大変である。「仕事中心の生活」を続ける以上、家事や育児における負担やそのしわ寄せは女性に集中する。例えば、仮に離婚してたった一人で小さな子供を育てあげなければならないという状況に追い込まれたら、仮に自身に能力と意欲があっても、その能力を生かせる仕事に就けるという保障は無い。私は消費税引き上げには大賛成で、それが有益に活用されることで、社会保障が充実し、安心して育児も家事も仕事もすべてが両立が可能となるような社会にシフトすべきだ。だから、女性の自立や女性の社会進出を何らかの形で支援できるようなことを「仕事」に繋げて行ければいいのだけど...。”というのが彼女の考えの要旨である...。

 彼女は大手総合広告代理店系列のメディアレップから外資系の広告会社でメディアに携わりキャリアを重ねた後、2年間、イギリスのロンドンにわたった。その際に「日本人の島国根性とその閉鎖性」というのを痛切に感じたという。韓国の人々は英語をきちんと理解し、勉強して他国の文化や技術等を積極的に受け入れようと必死であるのに対して同じようにロンドンにいる日本人というのは、極めて英語力が低くコミュニケーション力も劣っていて、グローバルスタンダードという視点からは、ことごとくかけ離れていると指摘する。海外滞在経験を持つ彼女ならではの視点であり、この国を離れたのは観光旅行程度の経験しか持ち得ない僕にとっては、「なるほどな。」と感心させられる意見である...。

 日本という国は、とにかく官主導のもと多くの規制を引き、既得権益を張り巡らせ、護送船団方式で発展の道を歩んできた。そういう意味においては本当の競争の概念が根付いているわけではない。

 地方の片田舎の公立大学で経営学を学んだ僕は、「年功序列」、「終身雇用」という日本的経営の優位性をどっぷり植えつけられたし、バブル世代の最後と言われる僕らの世代の中心的な価値観には、まぁなんとかなるだろうという極めてあまい根拠の無い楽観論がその背景に根強くある...。とはいえ、僕なんていざ社会に放出されると、何ともならなくて右往左往や立ち往生を繰り返してきたので「何とかなるだろう。」という「甘え」は本当に「甘え」でしかなかったことを痛いほど理解している...。

 日本の社会というのは「最大公約数」で動いてきた...。まずは仕組み、システムを構築し、その張り巡らされた網からこぼれなければ必要最低限の「幸せな生活」が待っていると誰もが信じ込んでいた。弱き羊たちは群れを成し、群れの中に一匹に納まることで「安全」や「安心」や「安定」は担保されるものだと信じていた。したがって、人生無事難なく終えるためには、その「群れ」に馴染むことできる「協調性」や「温和さ」や「柔軟性」が極めて重要な「素養」とみなされた。「個性」というのはある意味やっかいで不必要なものと定義されるようになっていった。

 けれど、テクノロジーの進化は時代を変え、もはやその「網」はところどころでほころびはじめ、「網」を張り巡らせるのではなく、能力あるものは自立せよ!という風に次第にシフトしていった...。今まで「群れ」の中で戯れることしか能力のなかった優しい目をした羊たちは、ただそれに戸惑うことしかできなかった。

 一方、いざ網を突き破り、まさに時代の寵児として名をはせた者が共通して持ちえたその資質は強欲な自己顕示欲だった。羊ではなく狼へと変貌をとげ、他者へのいたわりや優しさを不要だと切り捨て、結局、法の目までも食い破った...。

 僕はまさに今日本は大きな転換期をお迎えていると強く思う...。

 やはり、群れを成す羊たちが自立することはとても大切なことだと思う。自らの意志や情熱や能力や意欲が評価され、その中で価値を創造しひとり立ちをすることはこの国で暮らしを営む一人一人に求められる。何かもたれながら生き抜けるほど、容易な時代ではなくなったのは事実である..。と同時に日本という国も世界に実のある貢献を行うことによってその存在価値を高めてゆかなければならない...。でなければ、本当にこの国はただ静かに終焉の時を待つに過ぎないかもしれない...。

 とはいえ、僕は何も市場原理主義に伴う新自由経済の導入を声高に叫ぶつもりもない。が、やはり構造改革の足を止めることは許されるべきでは無いと思う。もう網の目はところどころでほころびはじめているのだから、旧来型の手法に依存していても何も新しいものが生み出せるわけではない...。

 龍さん(村上)のカンブリア宮殿を見るたびに、何か新しいものを生み出す、新しい価値の創出に挑戦するという勇気の素晴らしさを僕は強く感じる。やはりそこに登場する経営者は何も、単に利潤を追求する目的のために、企業活動を遂行しているばかりではない。社会への貢献、誰かに役に立つことへの歓び、それを強く強く追求する企業が今成長を遂げていると強く思う。やはり、ファーストリテイリングの柳井社長の話には強く胸を打たれた。

 つまり正しく利潤を追求すること=一人でも多くの生活に役に立つ「貢献」であることという図式が成立すれば、企業が成長し進化を遂げるということが何も後ろめたいことではなくなる...。企業も個人も、誰かの役に立つために自分の存在理由を定義つけることができるのならば、少しは暮らしやすいましな社会になるのではないだろうか...。

 だから僕はわれらボスが我々の企業理念を「For your success ~すべてはお客様のビジネスの成功のために~」と掲げていることを強く強く誇りに思うのである...。

 3ヶ月くらいにON AIRされたJTのCMはそんな視座に溢れていた。このCMがACCを取れるのであれば、ACCの価値自体がもっともっと高まるかもな、なんて思ってみたりもする...。

  ”イギリス/思いやりの扉” 広告主 JT