こはにわ先生 東京へ(3) | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

今回出演させていただいた「Qさま!!特別編」の趣旨は「教科書の新常識&ヒミツ」を教える、ということでしたが、実は、番組でとりあげた内容の多くは「既知」の方も多かったと思います。


だいたい2008年ころに話題になったものが中心でした。


鎌倉幕府の成立は1192年ではない!


と、言うのも、「ああ、知ってる知ってる」となったと思います。


番組では、鎌倉幕府の成立の諸説を紹介させていただきましたが、実は、教科書で、1192年を幕府成立年にしなくなったのは、後々の「布石」なんです。


「鎌倉幕府」というのが明治時代の造語で、武士の政権としての「幕府」は、早くて室町幕府に定着します。

征夷大将軍が武家の棟梁である、という概念も同様。

源頼朝が、征夷大将軍の位をのぞんだのは、奥州藤原氏が鎮守府将軍であったことに対抗、あるいは、それをしのぐ位を求めたからで、「戦場での軍議の場」に「幕を張られていた」ことから“幕府”だ、なんてことはあまり意味がない説明(というかややコジツケ)なのです。

当時の御家人たちにとって重要なのは武家の棟梁=「鎌倉殿」であり、鎌倉殿=征夷大将軍と定着するのは、三代実朝のころから…

実際、四代目のときは、最初は征夷大将軍に任じられていない子どもを「鎌倉殿」として迎えていました。鎌倉殿が征夷大将軍でなくてね別段不都合がなかったわけです。

征夷大将軍=武士の棟梁という概念は、まだ十分確立されていないんですよね。


ですから、征夷大将軍の任命=幕府の成立、というのははるか後年の考え方なのです。


というわけで、将来的には、鎌倉幕府、という表記は「鎌倉政権」という表記に改められる可能性が大きい、ということです。


実際、このような表記上の変化は、教科書の中ではすでに行われており、


「大和朝廷」


という表現も今はしません。


「大和朝廷」→「大和政権」あるいは「大和王権」→「ヤマト政権」あるいは「ヤマト王権」


というように変わりました。

当時では「朝廷」という表現はふさわしくない、ということで、「ヤマトにあった政権」と理解させるようになったわけです。


そうなると、受験生ならびに中学受験を考えておられる方々は、「どんなふうに出題されるのか?」ということが気になるところですよね。


簡単に言うと「わかるように出題される」ということです。

たとえば中学入試などでは、


(例) (   )年に鎌倉幕府が成立し、1192年、源頼朝は征夷大将軍となりました。


というようにしておけば、混同も混乱も起こりません。1192年は征夷大将軍に任命された年であることは確実なのですから、「読めば」解答できます。


大学入試では、番組でご紹介したように、成立に至るプロセスを「包括的に」理解されておけばよいわけで、

センター試験のように、「年代を古いもの順に並べ替えよ」ということに対応できればよいわけです。


さて、「鎌倉幕府がなかった」という話のほかにも「薩長同盟はなかった」という話をしたので驚かれた人もいたとは思いますが…

(次回に続く)