軽井沢高原文庫

2024.4.20~2024.7.8

「軽井沢文学散歩~『新編 軽井沢文学散歩』刊行記念~」











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今日からモンゴメリ生誕150周年「赤毛のアンと軽井沢」が始まりました。

 きょうから、軽井沢タリアセン内に移築されている旧朝吹山荘「睡鳩荘」で、モンゴメリ生誕150周年「赤毛のアンと軽井沢」が始まりました。6月2日まで。

 日本で初めて『赤毛のアン』を訳した村岡花子所蔵の原書や日本語訳初版本、直筆原稿、村岡花子宛片山廣子書簡などの貴重資料も東洋英和女学院資料室などからお借りして展示しています。アンの世界観を再現した「アンの部屋」は写真撮影OKです(さきほど撮影したものを次に掲げます)。この部屋はもともとフランス文学者の朝吹登水子さんの部屋でした。

 入場料は大人400円(軽井沢タリアセン入園料大人900円が別途かかります)。

 睡鳩荘の建物は、W.M.ヴォーリズ設計(1931)。国登録有形文化財。軽井沢別荘建築の中でも最上質なものとされています。スタジオジブリ「思い出のマーニー」のモデルとも言われています。

  昨夕、本欄を書いた後、私は睡鳩荘へ徒歩で移動して、展示の飾りつけを手伝いました。夜10時半頃になんとか終わりました。けさ、村岡花子の孫・村岡恵理さんやカナダ観光局の方、プリンス・エドワード島州政府観光局の方、広川美愛さん(軽井沢ヴィネット編集長)が来られて、展示のチェック、微修正をしてくださり、私も皆さまからのご指示通りに資料を移動したり、新たにキャプションを取り付けるなどして、なんとかオープンにこぎつけました。

 なお、会期中、2つのイベントが開催されますが、きょうスタートしたばかりというのに誠に申し訳ないのですが、両イベントともすでに満席となっております。

 皆さま、「赤毛のアンと軽井沢」展、よろしかったらお出かけください。 (大藤 記)

 

追記 

きょう、今回の展示にあたり、資料協力で大変お世話になった東洋英和女学院の方もお見えになりました。

 

軽井沢はサクラが見頃です。

 標高千メートル前後の軽井沢は、サクラがちょうど見頃です。ここに掲げるのは、軽井沢高原文庫から徒歩5分の所にある、軽井沢タリアセン内のアントニン・レーモンド「夏の家」の周辺の様子です。けさの撮影。今日、私は一日、「夏の家」にいました。

 昨秋、レーモンド「夏の家」は国重要文化財に指定されました。この建物は、移築保存された1986年当時からフランス人画家レイモン・ペイネの美術館として活用されてきました。開館式典にペイネ夫妻がフランスから参加された日の情景を、私は昨日のことのように覚えています。ペイネさんがドニーズ夫人をいたわるようにされていたのが印象的でした。

 現在、ペイネ美術館では「風邪のひき方展」という一風変わったテーマの展覧会を開催中です。今日もペイネファンと思われるご夫婦が訪れ、見学後、ローゼンタールのマグカップはじめ多くの商品をショップで購入されました。

 「夏の家」の縁側に立っていると、塩沢湖をわたってくる風がとても心地よいです。湖畔のどこからか、もうカエルが大合唱するのが聞こえてきました。季節が確実に移り変わっているのを実感しました。 (大藤 記)

 

あすから新展示「軽井沢文学散歩〜『新編 軽井沢文学散歩』刊行記念〜」開催

 軽井沢でもようやく桜が咲き出しました。えっ、今頃?と驚くかもしれませんが、軽井沢の桜の見頃はだいたい5月の大型連休が近づく頃ですから、例年よりも1週間から10日ほど早いペースでしょうか。年々早まっている気がします。

 ここに掲げるのは、さきほどアントニン・レーモンド「夏の家」(重要文化財)へ向かう途中で撮影したオオヤマザクラの並木です。この花の見頃は4~5日後くらいでしょうか。

 さて、軽井沢高原文庫では、あすから新展示「軽井沢文学散歩〜『新編 軽井沢文学散歩』刊行記念〜」が始まります。7/8まで。

 昨年、軽井沢町から、昭和43年初版の『軽井沢文学散歩』を全面的にリニューアルした『新編 軽井沢文学散歩』(軽井沢町教育委員会)がじつに55年ぶりに刊行されました。私も軽井沢文学年表の作成などで協力させていただきました。

 今回は、『新編 軽井沢文学散歩』刊行を記念して、あらためて軽井沢ゆかりの文学者の作品を、軽井沢高原文庫の収蔵資料をもとに、大正期から昭和後期までを中心に、紹介させていただきます。

 これまで軽井沢高原文庫ではあまり紹介しなかった平成期の文学作品も一部ですが、展示しています。また、2021年に神戸市在住の寺内敏夫氏から寄贈いただいた円地文子の新聞連載小説「この酒盃を」原稿や、佐多稲子の随筆「終戦記念日のおもい」原稿、堀田善衛の文芸時評原稿なども初めて紹介します。やはり自筆原稿というのは、作家が作品に向き合った姿勢がひしひしと伝わってきて、興味深いですね。

 数多くの文学作品が誕生した軽井沢の豊饒な文学風土を、こうした文学資料を通じて感じとっていただけたら幸いです。

 なお、会期中、5月に春の文学散歩「新緑の信濃追分を歩く」(5/19)を、6月に辻邦生山荘見学会2024①(6/1)を、それぞれ開催します(要予約)。まだ空きがございますので、よろしかったら高原の春を満喫できるこうしたイベントにも、どうぞお気軽にご参加ください。(大藤 記)

 

あすから、有島武郎別荘‟浄月庵”のカフェ「一房の葡萄」が新年度オープンします。

 あすから、軽井沢高原文庫敷地内に移築されている有島武郎別荘‟浄月庵”1階のカフェ「一房の葡萄」が新年度オープンいたします。営業時間は11:00~17:00。営業は11月上旬まで。定休日は水・木曜日(8月のお盆期間中は無休)。珈琲・紅茶・ドリンク・トースト・ケーキなど。軽井沢高原文庫にご入館されなくても、カフェだけのご利用もできます。 

 店名の「一房の葡萄」は、有島武郎が生前に刊行した童話集『一房の葡萄』に由来します。

 ここに掲げる写真は、2008年夏、軽井沢高原文庫で開催した生誕130年記念「有島武郎と軽井沢展~その死と文学を問う~」の際に刊行した「高原文庫」第23号の表紙です。表紙に写っているのが浄月庵です。カフェは1階の洋間2部屋とベランダを使用しています。

 1923年(大正12)6月9日、有島武郎は父親が大正初期に建てたこの別荘で、「婦人公論」記者・波多野秋子と情死しました。今から101年前の出来事です。

 別荘のまわりには自生のヤマザクラがたくさんありますが、きょうはまだ固い蕾の状態です。うすいピンクの花が一斉に咲くのは、来週後半くらいでしょうか。皆さま、どうぞお出かけください。 (大藤 記)

4/27~モンゴメリ生誕150周年「赤毛のアンと軽井沢」開催(会場:旧朝吹山荘「睡鳩荘」)

 4/27(土)から旧朝吹山荘「睡鳩荘」でモンゴメリ生誕150周年「赤毛のアンと軽井沢~春の軽井沢で アンの世界に浸る~」が開催されます。6/2まで。

 カナダの女流作家ルーシー・モード・モンゴメリ作の小説『赤毛のアン』。世界一美しいと言われる島、プリンス・エドワード島を舞台に描かれる孤児アン・シャーリーの成長物語は、世界中で一世紀以上にわたり読まれ、多くのファンに愛されてきました。日本で初めて『赤毛のアン』を訳した村岡花子は、軽井沢とも関係する文化人のひとりです。

 今回、『赤毛のアン』ゆかりの軽井沢で、「赤毛のアン」の展覧会を開催いたします。現地カナダのプリンス・エドワード島からの資料を始め、村岡花子所蔵の原書や日本語訳初版本、直筆原稿などを展示します。

 ここにチラシの表裏を載せます。会期中、5/11にティータイムトーク「村岡恵理さんが語る『赤毛のアン』」、6/1に「軽井沢で探す「赤毛のアン」の花々」のイベントも開かれます。プリンス・エドワード島の現地限定のアングッズやカナダのスイーツも販売予定。

 入場料は大人400円、小中学生200円(軽井沢タリアセン入園料 大人900円、小中学生400円が別途かかります)。

 新緑の美しい軽井沢に、よろしかったらお出かけください。 (大藤 記)

 

きょうから旧朝吹山荘「睡鳩荘」の新年度一般公開が始まりました。

 きょうから、軽井沢タリアセン内に移築保存されている旧朝吹山荘「睡鳩荘」の新年度一般公開が始まりました。1931年(昭和6)、米人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計。国登録有形文化財。11月下旬まで公開いたします(見学には軽井沢タリアセン入園料大人900円が必要。またイベント開催時は料金が変更あるいは見学できない場合がございます)。

 実業家・朝吹常吉(三越社長等歴任)が旧軽井沢に建て、フランス文学者で常吉の長女・朝吹登水子氏らが2000年代初頭まで使用されていました。朝吹家より寄贈。家具や室内装飾などは当時のままの状態で、1階居間は軽井沢別荘建築の中でも最上質なものとなっています。またスタジオジブリ作品の映画「思い出のマーニー」のモデルとも言われています。

 きょうは、早朝より睡鳩荘に勤務する女性スタッフ3人を含む5人で大掃除をしました。今回、4月27日より睡鳩荘で始まるモンゴメリ生誕150周年「赤毛のアンと軽井沢」(お知らせは改めていたします)のために東洋英和女学院などからお借りしてきた資料の移動などもあり、大変でしたが、午前11時ころにはなんとか開館にこぎつけました。

 どうぞ皆さま、塩沢湖畔散策とともに、よろしかったら旧朝吹山荘「睡鳩荘」にお越しください。 (大藤 記)

(写真は2009年撮影)

 

 

 

立原道造 風信子忌2024

 きょう、立原道造の風信子忌(2024年度)が東京・谷中の多寶院で開かれ、私も参加させていただきました。立原道造が死去したのは1939年(昭和14)3月29日。きのうが立原の没後85年目となる命日でした。

 冒頭、立原道造記念会会長で立原家代理人の宮本則子氏、故立原肇裕氏長女で新立原家当主の立原朗江氏、そして私が挨拶し、そのあと、参加者約20名が墓前にて焼香しました。大阪、浜松、横浜、東京、福島、軽井沢など全国各地から参加されていました。

 その後、多寶院近くの店2階座敷を借りて、お弁当を頂きながら、立原を偲んで懇親会が行われました。1週間ほど前、国立音楽大学附属高等学校合唱部第29回定期演奏会で「立原道造の詩による合唱作品選」を歌ったばかりという水内遥さん(18)が私のそばに座っておられ、立原の詩の魅力について尋ねると、「理想への手の伸ばし方が好き」と話してくれました。

 ここに、写真を数枚、載せます。人物は事前許可を得ていませんので載せません。お墓にお供えした花の中にヒヤシンス(風信子)があるのでぜひ探してみて下さい。谷中墓地を歩いている途中で見つけた桜の花も1枚、添えます。

 なお、軽井沢高原文庫では、今年7月13日から10月14日まで、夏季特別展「生誕110年 立原道造展~詩・建築・造形~」(仮称)を開催いたします。近年、多くの立原道造資料が立原道造記念会より軽井沢高原文庫に寄贈されました。この機会に、ぜひ皆さまに、時空を超えて輝く立原道造の世界を知っていただきたいと念願しております。 (大藤 記)

 

 

 

富山市で堀辰雄生誕120年展「゛風立ちぬ”堀辰雄と軽井沢の文学者」がオープン!

 きのう、富山市の高志の国文学館で「堀辰雄生誕120年展゛風立ちぬ”堀辰雄と軽井沢の文学者」が開幕しました。私は午後の講演を頼まれていましたので、午前10時からのオープニング式典から参加してきました。 

 展覧会は、「第1章 作家 堀辰雄の出発―「聖家族」発表まで」、「第2章 作家である「私」の物語―「美しい村」と「風立ちぬ」」、「第3章 <ロマン>追求の軌跡―「菜穂子」の系譜」、「第4章 日本の古典と西洋文学との融合―「かげろふの日記」から「大和路・信濃路」まで」の4部構成。それに、導入展示として、「軽井沢へのいざない」と題して、軽井沢・追分の美しいカラー写真や地図、朗読音声、堀辰雄質問箱などが掲示・設置されていました。

 内容の充実した、素晴らしい展覧会です。

 今回の展覧会について、私の受けた印象のひとつは、堀辰雄文学記念館からの約120点の資料、軽井沢高原文庫からの約50点の資料(立原道造記念会所蔵の4点含む)に加えて、高志の国文学館が所蔵する故辺見じゅん氏旧蔵の芥川龍之介宛片山廣子書簡や堀辰雄初版本などを含む総点数約250点の資料がズラリと並び、資料の質という点において、現存資料を借り出す展示としては、これ以上は望めないレベルまで達しているのではないかということでした。堀辰雄文学記念館からの自筆資料は特に光っています。

 もっと規模を大きくしようと思えば、作家以前の部分や、堀辰雄を取り巻く人々の紹介、堀辰雄の生活資料、同時代の時代背景となる資料を出すなど、可能なのでしょうが、反面、それをすると全体の印象は薄くなるかもしれません。この規模感はむしろ堀さんにふさわしいように思えます。

 展示説明も丁寧で、堀辰雄の作品からの引用パネルも多く掲示され、その活字も大きく、ルビもふられ、見て楽しく、読んで学べる非常に密度の高い空間をつくりあげています。

 今回の展示担当は係長(学芸員)の綿引香織さん。朗読音声は生田美秋部長や福澤美幸事業課長が声を吹き込むなど、館スタッフの方々が一丸となって展覧会づくりに取り組んでいます。軽井沢・追分のカラー写真は軽井沢高原文庫会員の木下裕章さん(東京都)が協力されました。

 会場にいると、自筆資料が発する得体のしれぬエネルギーのようなものが感じられてきます。

 会場には、1991年に軽井沢高原文庫が制作した「堀辰雄の芸術 堀辰雄愛蔵SPレコードより」CDが流されていました。

 以下は、蛇足のようなものです。富山は、堀辰雄が生まれたり、住んだ場所という、そうしたゆかりの地ではありませんが、開館12年目という、旧知事公舎のあった場所に建つ富山県立の立派な施設で行われる堀辰雄展です。しかし、よくよく考えれば、決定版堀辰雄全集ともいわれる筑摩書房版を編集した中村真一郎・福永武彦両氏と同年生まれで、3人で一緒に映画「モスラ」原作を書いた堀田善衛氏は富山出身ですし、堀辰雄を尊敬し著作の刊行を切望した角川書店創業者・角川源義氏は富山出身ですし、軽井沢町追分に山荘を構えた草分けの一人で堀とも文芸誌「高原」で同人仲間だった英文学者・田部重治氏は富山出身ですし…というように、堀辰雄と富山を結ぶ線なり、人物は芋づる式にいくらでも挙げることができるのです。

 皆さま、堀辰雄の生誕120年展、ご興味のある方はよろしかったらご覧ください。北陸新幹線・富山駅下車、徒歩約15分の場所です。

 ここに、きのうの高志の国文学館の外観、開幕式テープカットの様子、導入展示コーナーの写真を載せておきます。 (大藤 記) 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日(3/16)から新年度スタートいたしました。辻邦生山荘見学会2024①(6/1分)受付開始。

 本日(3/16)から、軽井沢高原文庫は新年度がスタートいたしました。今年1年間、どうぞよろしくお願いいたします。

 きょうから、2階展示室では「軽井沢の文豪たちに逢いにゆく」 を行っております(~4/16)。軽井沢ゆかりの文学者約50人の、軽井沢を舞台に描いた詩・小説・随筆・戯曲・俳句・短歌等を、明治末期から昭和前期までを中心に、著作、原稿、初出紙誌、絵画等の収蔵資料約200点で紹介しています。豊饒な軽井沢文学を一望することができます。

 次の写真は、1950年、軽井沢の別荘での室生犀星です。幅北光撮影。室生犀星は昭和前期において、軽井沢を代表する文学者のひとりです。

  今回、展示場の一角に、犀星の長女・室生朝子氏より寄贈された室生犀星遺愛品コーナーを設けました。このコーナーだけでも一見の価値があります。

    

 また、きょうから、辻邦生山荘見学会2024①(6/1分)の予約受付を開始いたしました。2012年にご遺族から寄贈された辻邦生・佐保子夫妻山荘を、2014 年から年数回程度、学芸員が現地にてご案内しているこの特別公開も、今年で11年目に入ります。

  来年は辻氏の生誕100年を迎えますから、新たな気持ちでこの催しにも取り組みたいと考えております。

 辻邦生氏は50歳の時、それまで13年間、3つの貸別荘を転々としていた同じ旧軽井沢に山荘を新築し、その後24年間ほど、亡くなる直前まで創作場所として使っていました。東京やパリにあった辻氏の仕事場が現存しない現在、唯一残る貴重な創作現場とも言えます。設計は磯崎新氏。

 皆さま、どうぞよろしかったらご参加ください。申し込み方法は当館ホームページをご覧ください。  (大藤 記)

辻邦生山荘(冬)

 

 

3/23~高志の国文学館で堀辰雄生誕120年展「〝風立ちぬ”堀辰雄と軽井沢の文学者たち」開催

 きのう昼過ぎから夜にかけ、軽井沢は再び約15㎝の雪が降りました。けさ、大急ぎで、軽井沢高原文庫の周囲の雪かきをしました。湿った、重たい雪でした。

 きょう午前9時半、富山県立の「高志(こし)の国文学館」の綿引香織・学芸係長と生田美秋・部長が来館され、3月23日から同館で始まる堀辰雄生誕120年展「〝風立ちぬ”堀辰雄と軽井沢の文学者たち」への出品資料として、当館所蔵の原稿・書簡・初版本・絵画・生活資料など約50点をお貸ししました。

 まず、このようなテーマの展覧会を軽井沢とは異なる地域で開いていただけるということに、心から感謝申し上げたいと思います。富山県や北陸の皆さまに軽井沢の文学について少しでも触れる機会となれば幸いです。

 堀辰雄文学記念館からも100点を優に超す資料が出品されたそうですから、当館の分と合わせ、それだけでも充実した展覧会になるものと思われます。高志の国文学館が収蔵する芥川龍之介宛片山廣子書簡も公開されるようです。

 かつて神奈川近代文学館や鎌倉文学館、室生犀星記念館(金沢)などで堀辰雄展が開催されたことがありました。今回は富山ということで、富山に近い場所にお住いの方、あるいはこれから北陸方面に旅行に出かけるという方なども、よろしかったら展覧会に足をお運びください。ここにチラシ画像を載せておきます。

 以下、余談です。

 数日前、宮崎駿監督が映画「君たちはどう生きるか」で米アカデミー賞の長編アニメーション賞を受賞されました。おめでとうございます。映画「風立ちぬ」からちょうど10年目にあたるそうで、それだけ時間がたったことに驚いたのですが、それに関連して、プロデューサーの鈴木敏夫さんが今回の作品について、「難産だった」とコメントされている新聞記事を読んで、私はすぐに、堀辰雄「風立ちぬ」も同じように難産だったことに思いをはせました。

 堀辰雄は昭和12年11月、川端康成が鎌倉へ引き上げた後の川端別荘を借りて入り、そこで終章「死のかげの谷」を書きあげ、「風立ちぬ」を完成させたのでした。この終章は見事な章で、それをささえているのは川端別荘のあった桜ノ沢別荘地周辺の、雪に埋まった村の刻々と変わる自然描写だと私はかねがね思っていて、時折、思い出したように、その十数頁を読み返すことがあります。

 今年は軽井沢はとりわけ雪が多かった年ですが、堀辰雄がもしも存命だったら、雪が好きな人でしたから、さぞ喜んで散歩に出かけたことでしょう。(大藤 記)

 

 

 

 

 

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