野村貴仁元投手宅と弘法大師居住洞窟跡 | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

清原和博被告のニュースが流れる度に注目される「元薬友」野村貴仁氏は、我が高知市春野町の現代に於ける第一のスーパースターと言える。春野町から大リーガーが誕生する等、かつて誰が想像できただろう。

県道から見た野村邸屋根
現在、野村氏はかつての空手経験を生かして、総合格闘家への転身を図ろうとしているが、彼の春野町の自宅住所や地図、固定電話番号、携帯番号は何年も前から、自らのホームページで公開されていることをご存知だろうか。

にも拘わらず、一般人がネットで彼の家の写真を挙げることはなかった。それはあるブロガーがグーグル・ストリート・ビューで誤った図示をする等したせいもあるかも知れない。そこで今年2月、当方がフォートラベル・サイトに投稿した。→原の悪友・野村元投手宅と二ヶ所の土佐十景と龍馬の砲台
彼は多分、野村邸
小学校での当方の後輩にあたると思うが、自宅は以前紹介した、土佐十景・甲殿踊狂岩や種間寺奥の院・岩屋神社の近くにある。但し、県道の花街道からは二階の屋根しか見えない。その屋根にある二つの出窓の内、一つの窓は割れて板が斜めにはめられているがこれは台風で割れた後、泥棒に入られると困るので、そのように処置したという。
その屋根は何度もテレビや新聞に写っていたので、すぐ分かるだろう。甲殿(こうどの)バス停の西方、北への階段を下りるとすぐ左手に現れる。縁側のドアが開いていたら在宅のはず。野球の指導を受けてみたい方は相談してみれば如何だろう。

彼には今後、地上波テレビのバラエティー番組へ出演する等して露出度をアップしてから、本格的に野球教室を再開し、町民に再び愛されるようになってほしいと願っている。
岩屋跡

さて、前述の岩屋神社についてだが、11年前に参拝した時の岩屋(洞穴)跡については記憶になかった。その岩屋は弘法大師がここで修行していた期間、寝床にしていた洞穴。
神社(社殿はなく、岩屋跡上の一枚岩下部の窪みが御神体)前の道は小学校時の6年間、毎年春、遠足で歩いていたが、現在、入口がコンクリートブロックで塞がれている岩屋が昭和40年代、既に封鎖されていたか否かは記憶にない。

が、今年2月、改めて訪れてみると、そのブロック左に洞穴の一部が開口していた。しかし腹這いにならないと入洞できないから諦めた。
一枚岩下部は小屋掛けされているが、11年前には設置されてなかった「弘法大師もたれ石」の手製看板が掛けられていた。
洞穴の一部
尚、土佐十景碑は岩屋神社南西の住吉神社境内の参道脇にある。刻字は「甲殿住吉」となっている。

甲殿バス停の一つ西のバス停「菜切」下の「菜切ヶ浜」が遠足の地だが、小学校卒業以来、訪れるの菜切ヶ浜の巨岩
は初めて。遊泳禁止地区だが、砂浜は美しく、人が入れる巨大な割れ目を擁する巨岩もある。

当方は岩屋神社と住吉神社の間にある広場に駐車して、野村邸等を巡ったが、菜切バス停の南西の春野漁港分岐付近の広場に駐車して巡っても良い。
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