魚梁瀬森林鉄道須川線西部から奈半利川線大回遊(5・完) | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[文化財指定されなかった隧道]古五六廃寺跡
野根山街道登山口(車道終点)から西に徒歩23分の所にある十字路南東角には、街道碑と古五六廃寺跡碑が建っている。周辺から出土した瓦から、奈良時代の寺院跡と考えられている。この近くまで当時は海であり、大陸からのものも入って来ていたのかも知れない。



その少々西方、角にJAのある十字路で街道と分かれ長谷川橋 、南に折れるが、この南北に走る道路こそ、魚梁瀬森林鉄道奈半利川線跡なのだが、路盤等はなく、周囲は住宅街で、廃線跡の雰囲気は皆無。



国道を横断してほどなく行った所の長谷川橋も廃線後に架け替えられた車道橋故、風情なし。

が、数分歩いた所の八幡宮下に来ると急に幅員が狭まり、廃線跡の雰囲気が出てくる。宮の建つ山が邪魔で、道路の拡幅がで報恩寺跨線橋 きなかったのだろうか。



八幡の東には六剣山三光院があり、この参道が「報恩寺跨線橋」として廃線跡を跨いでいることは有名。昭和8年に建設された石造アーチ橋で「旧魚梁瀬森林鉄道施設」の一つとして、国の重要文化財に指定されている。廃線跡遺構が国の重文指定を受けたのは、魚梁瀬林鉄が初めてだという。



そこから右手に六軒過ぎた四差路部は路面が盛り上が報恩寺跨線橋上からの廃線跡 っているが、その先は歩道のまま残っている。若干、下草が藪っぽいものの、その歩道の終点には、文化財指定されなかった箱型隧道が残っている。コンクリート造りだから指定されなかったのかも知れないが、遍路の雨宿り所や休憩所として再利用したらどうだろうか。



この隧道は旧奈半利貯木場の入口。出口から先は私有地のため、柵が設置されている。この隧道は国道から分岐した車道の下にあるため、廃線ファン以外で気づく者は殆どいない。

隧道からは盛り上がりのある四差路まで戻り、北に折れて国道に上がる。

この回遊コースのコースタイムは5時間以箱型隧道 上かかると思うが、シュロの木から車道に上がる箇所を整備すれば、ハイキング・イベントを開催してもおかしくない、立派なコースになる。



次回は須川線最奥部若しくは、須川線から分岐する他の支線跡を紹介しようと思う。尚、その他の支線跡ではトロッコ台車や桟道橋、木造橋、インクライン巻き上げ設備、高さが20mほどあるのではないかと思われる空前絶後の素掘り隧道等が残っているものもある。そういう知られざる遺構をネットで初公開するのが当方の役目である。

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