ももへの手紙&旅の贈りもの・関連地回遊(5) | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

≪殺されたカムロの怨念≫

若胡子屋の二階は、遊女たちの支度部屋だった。化粧やお歯黒を塗る所である。その日、花魁の八重紫はいつものように鏡の前に座り、カムロが差し出したお歯黒壺でお歯黒を塗っていた。が、なぜかその日に限ってうまく塗れなかった。そこでカムロに壺を取り替えるよう指示したのだが、何度取り替えても全く思うように塗ることができなかった。



自然、戦跡、ときどき龍馬-カムロの怨念が残る若胡子屋二階 一階からは客が矢の催促。焦れば焦るほど塗れない。苛立ちが頂点に達した八重紫は「えーい、口惜しい!」と叫んだかと思うと、いきなり側にいたカムロの顎を掴み、煮えたぎったお歯黒液をカムロの口に流し込んだのである。カムロは七転八倒して畳 の上を転がり回った後、壁にもたれかかってお歯黒混じりの黒い血を口から流しながら、息絶えたのだった。



それからというもの、八重紫が鏡の前に座ると、必ずその鏡にカムロの霊が現れ、「もーし、花魁へ、お歯黒、付きなんしたか。」と、恨めしい目で言うようになった。このようなことが毎日何日も続くと、流石に八重紫も自責の念にいたたまれなくなり、四国遍路に出ることにした。


自然、戦跡、ときどき龍馬-遊女たちの落書き痕

瀬戸内海を渡り、伊予・今治に上陸した時、再びカムロの霊が現れ、「ここからは一人で行きなんせ。」と言うと姿を消し、以後、八重紫の前に現れることはなくなったという。それ以来、胡子屋では遊女を100人置くと必ず一人、死ぬようになったため、99人しか置けなかったという。



自然、戦跡、ときどき龍馬-作業所の奥が旧増井集会所跡 これは大正年間に編纂された「豊田郡誌編纂資料」に記載されていたものだが、豊町史執筆者は、このようなことが地元の番所等の記録にない のは可笑しいから、これは明治期、若胡子屋が没落した後、創作された話であろうと記述している。しかし、役所の記録にない殺人事件は全国に五万とある。3年前に投稿した、私の祖母が明治末頃、目撃した殺人事件もそうである。村の「総意」で一人の男が、高知市春野町西分増井の吉良明神社石段口斜向かいにあった旧増井集会所で殺された。



自然、戦跡、ときどき龍馬-八重紫の墓 しかしこの事件は闇に葬られた。被害者の墓は春野中学校建設時の墓地移転の際、確認されている。不思議なことに骨壺に骨は入ってなかったという。殺人に関わった者は10人以上。当然、当事者が我が子に話すことはないから、殺人者の孫や曾孫は今、その事実を知らずに暮らしている。

尚、このような「地区の総意 」による殺人事件は’80年代、アメリカでも起こっている(迷宮入り)



若胡子屋二階には今でも、カムロが壁にもたれかかって事切れる際、付いた血の手形が残っているというのだが、気づかなかった。遊女たちがお歯黒で落書きした跡は、すぐ分かる所にあったのだが・・・。

八重紫の墓は一階の縁側の障子を開けると、庭の隅に確認できる。



祖母が目撃した殺人事件を綴ってしまったため、坂本龍馬滞在所を記述する紙幅がなくなってしまった。が、最近、再度島の資料を確認すると、龍馬滞在所の主人の先祖は、長宗我部元親配下の有名な武将であることが分かった。その武将の居城周囲の関連史跡は何年も前、探訪しているが、無名史跡について現在、傍系子孫の知人に接触を試みている。よって、本シリーズとは別に記事を投稿する予定。

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