桜とツツジと陸軍壕が同時に楽しめる山 | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

2700本の桜とツツジと超急傾斜塹壕≫自然、戦跡、ときどき龍馬-桜とツツジ
高知県の桜の名所で最大級規模と言えば、大体本数で25003000本。目ぼしい所では、仁淀川町の大渡ダム、以前紹介した土佐市の波介山展望公園、香南市の月見山等である。



昨日出かけたのは約30年ぶりとなった月見山だが、驚くことに、桜以外に紅やピンクのツヅシが一緒に開花していたので

ある。特種品種とも思えないが、一体ど自然、戦跡、ときどき龍馬-ツツジの中から のような植栽法なのだろうか。とは言え、桜の淡いピンクの中の萌えるような紅色とショッキングピンクは強烈なアクセントとなって、目に飛び込んでくる。更に展望台からの土佐湾から太平洋の眺めも雄大。まさに県随一の桜の名所と言えるだろう。



ここに陸軍の陣地があったということは、昨日、花の撮影のため、遊歩道から斜面に下りた時、たまたま横穴壕跡を発見したことから分かったことであり、山中を探索すると次々と横穴や竪穴壕が現れた。ここでも注目すべ自然、戦跡、ときどき龍馬-土御門上皇碑 きは先週解説した大谷トーチカ陣地と同様、塹壕である。こちらのものは、距離で言うと大谷ほどではないが、稜線と垂直となる形で、傾斜角40度以上の箇所に掘られていることが特徴的である。



月見山は海岸沿いにあることから、四国防衛軍第155師団も重要視していたのだろう。この山に兵力3841人の第451連隊本部を設置、山砲やカノン砲を据えていた。



そんな月見山は皇族ゆかりの地でもある。承久の乱(1221)により、土佐の幡多へ配流となった土御門上皇が二年後、阿波に向かう途次、月見山西麓の常楽寺(廃仏毀釈後、明治7年「宝幢 院」として再興)を御所として滞在。しばし自然、戦跡、ときどき龍馬-最初の壕 ば月見山に登り、観月したと言われている。



先般より述べているように、高知県内の桜の開花期はピークを越えているが、昨日はまだ散っている木は殆どなく、大勢の花見客が訪れていた。それに桜は散ったとしても、ツツジはまだ見られるものと思う。



アプローチは、公共交通機関利用時は土佐くろしお鉄道香我美駅を下車し、国道を東進する。マイカー利用時は、駅を過ぎると目の前に月見山が横た自然、戦跡、ときどき龍馬-最初の壕内部 わっているので、山の手前の信号交差点を左折する。ほどなく右手に看板が現れるので、登山道路を上がり、第二駐車場に駐車する。途中、姫倉山の斜面に横穴壕が開いているのが確認できる。



駐車場東の登山口から登るが、右急カーブの箇所に上下に二つ並んだ三角形の竪穴がある。上の方の穴の壁面はセメントで固められているが、これが陸軍のものか否かは定かでない。

遊歩道は桜とツヅシの中を通っており、潮風が吹くと桜吹雪となり、行楽客が歓自然、戦跡、ときどき龍馬-支尾根上壕 声を上げている。



道は北西から西へと向きが変わるが、その変わった辺りの上部に横穴壕跡がある。ツツジと一緒に壕も写真に納めることができる。

遊歩道は今度、支尾根に沿って西から南に向きを変えるが、その変わる手前の下にも横穴壕跡がある。



道は三叉路となるが、まずは月見山展望台へ登る。右折して稜線に上がり、西進してもいいし、直進して支尾根を回り込んで行っても良い。標高は60m程度だが、香長平野や手結岬、太平洋の眺望が素晴らしい。



展望を楽しむと稜線を東に引き返す。桜自然、戦跡、ときどき龍馬-稜線東下の壕群 の中、道はカーブを描いて東から北へ向きを変えるが、カーブ手前から東の樹林に入り、支尾根に乗る。少し下った所に北向きに掘られた横穴壕がある。土砂が堆積し、入口は少ししか開いていない。



そこからは支尾根の反対側に回り、斜面を北へトラバースする。つまり稜線下を並行する訳である。すると西方向に掘られた巨大な横穴壕が次々と現れる。但し、こちらの壕群も殆ど開口部は埋まっている。



これは南国市の琴平山野砲陣地の臼砲壕群並の大きさだから、山砲壕群だろう。これらも臼砲(山砲に含まれる)かも知れないが、だとしたら、砲弾は稜線を飛び越え、山の西側に上陸する敵兵を迎え撃つ自然、戦跡、ときどき龍馬-塹壕 形になる。



斜面をトラバースして行く、右手下方の谷にコンクリートの基礎のようなものが見える。水槽のようだが、これが連隊のものかどうかは分からない。

再び少し登り、トラバースを再開すると、右手下方に第三駐車場北西のトイレから上がってくる遊歩道が見えてきた。



その遊歩道に向けて踏み跡があったから下りようとすると、左手に垂直方向に掘られた塹壕が現れたが、取り敢えず山の最高所に登ろうと思い、やり過ごすと、自然、戦跡、ときどき龍馬-塹壕先の壕 その先の下方にも規模の大きい横穴壕跡があるような雰囲気である。



それもやり過ごし、稜線の遊歩道に出て、北に進むとすべり山のあるわんぱくの森で、高所には東屋があったので、登ってみると、南東方向、手結岬方面に展望が開けていた。

道の終点の最高所は樹林の中で展望は皆無だった。



さきほどの三叉路下方の横穴壕跡を確認すると、南方向に垂直に掘られた塹壕が見える。上部の塹壕と繋がっているものと思われるが、こんな急勾配の支尾根に掘るということは、西側の平野部から米軍が上陸し、この山へ攻め上がって来た際、塹壕から神出鬼没的に攻撃する戦法だったのではないだろうか。自然、戦跡、ときどき龍馬-サイレン塔北方鞍部下壕



塹壕は遊歩道を横断すると北西に進み、右急カーブを描くとその先の横穴壕へと繋がっていた。

そこから稜線の遊歩道に出て、南下し、鞍部に達すると尾根幅が狭くなっていたから、壕が必ずあるものと思い、西下の歩道を北に下りて行くと、案の定、尾根の最も狭くなっている下にあった。こちらは内部に入れるが、貫通はしてないようである。



その南上から西方向にも道が付いていたので辿ってみると、地面に小さな竪穴が複数ある。大半が土砂に埋まっているが、地下には竪穴から続く横穴もありそうである。

自然、戦跡、ときどき龍馬-路面の竪穴壕群

稜線に並行して西から南に一旦回り込み、北に登ってピークに上がると旧サイレン塔があり、その南にはロープと針金が張ってある。覗いてみると竪穴壕だった。3m以上ありそうで、落下すると這い上がることは困難である。このような深い竪穴壕は、高知市の浦戸海軍航空隊の機銃陣地がある大平山にもあると言われている。



そこからは鞍部の遊歩道に戻り、最初の自然、戦跡、ときどき龍馬-サイレン塔側の竪穴壕 展望台東方の三叉路を南に折れ、支尾根を南から西に回り込んだ所から下方のトイレ近くの道に下り、横道を北西に進み、ファイヤー広場を横切って展望台へ達するメイン歩道に出て、道路に下り、西の「子供の森ハウス事務所」上部へ上がって土御門上皇碑を見学後、駐車場へと戻った。



途中の第一駐車場前のトイレ北西自然、戦跡、ときどき龍馬-月見山猫 隅には捨て猫用の猫小屋があり、餌が与えられていた。虎縞模様の肥満気味の捨て猫は、行楽客を見るとすり寄ってくる。

今回は時間の関係上、南に尾根続きの姫倉城跡へ寄ることができなかったが、そちらにも壕があるかも知れない。



桜とツツジと壕と猫、みんな違ってみんないい(金子みすゝ゛のぱくりか!)

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