日本の奈良時代のピラミッド | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

古代歴史に詳しい方は、岡山、大阪、奈良、群馬等に奈良時代、築造された階段状ピラミッドが存在するのをご存知のことと思います。

自然、戦跡、ときどき龍馬-修復中の頭塔
いずれも正式には仏教関係の仏塔ですが、点在エリアとして最大規模なのは岡山県備前市の「熊山遺跡」(三十数基が確認されている)で、単体のもので高さが最も高いものは、奈良市の頭塔(ずとう)でしょう。

 

基部から天辺までの高さは約12m、底辺32m、2050立方メートルの土を盛り、表面を石積みで固めた七段ほどの階段状ピラミッド型仏塔ですが、地下に二段埋没しているとも言われています。

 

頭塔は神護景雲元年(767)、良弁僧正の命により、実忠和尚が造立した土塔(どとう)ですが、後世に「どとう」が「ずとう」に転訛して「頭塔」の字が充てられるようになり、そこから玄昉僧の首塚説が誕生し、平安時代の古記録にも記載されています。

 

土塔も仏塔の一種であることは言うまでもありませんが、その起源は、仏陀がインドのクシナガラで入滅した際、舎利を弟子たちが携えて各地に赴き、それを納めるために造立した塔に発します。

 

自然、戦跡、ときどき龍馬-頭塔復元図 それがシルクロードを通じて仏教と共に朝鮮半島から我が国に伝来したのです。

 

当然現在でも韓国にも同様のものがあり、安東(アンドン)石塔、義城(ウイソン)石塔、山清(サンチョン)陵等が知られています。

 

 

が、日本国内に点在する仏塔は韓国のものより、石の積み方、角度のつけ方、開口等、全てが精巧に造られています。海外から技術を取り入れ、それを進歩・発展させることは日本人の真骨頂でもあります。

 

尚、三枚目画像の復元図は大阪府堺市大野寺の土塔で、高さこそ頭塔に若干劣りますが、底辺は驚きの60m

 

頭塔は私が訪れた'94年は修復工事中で小屋がけされていたため、全景を写真に撮ることはできなかったのですが、現在は覆屋もなく、全容を窺うことができます

見学時は近所で鍵を借りなければいけませんが、管理人が留守時もあります。

自然、戦跡、ときどき龍馬-土塔復元図

 

頭塔の場所は元興寺と新薬師寺の中間に位置していますが、周辺には観光寺が点在しているので、寺巡りとセットで回れば、一日、有意義に過ごすことができます。

 

推奨コースとしては、近鉄奈良駅から東に興福寺に進み、猿沢池横から南に元興寺極楽坊に到ると、少し西にある「時の資料館」を往復することをお勧めします。

 

時の資料館東方からは南に率川神社、それから東進して十輪院、一旦北に折れてからまた東進を再開し、福知院、そして頭塔へと続きます。

 

興福寺と言えば日本一人気が高い仏像で通称「天平の美少年」と言われる阿修羅像が超有名ですが、撮影禁止のため、私は市内の土産物屋でポスターやミニ胸像を購入しました。

 

元興寺は写真撮り放題ですが、閻魔像のような木像が多数あったのが印象に残っています。

 

時の資料館は古代から現代までの様々な時計が展示されていたように記憶していますが、そこでは実際に使用できる日時計のキーホルダー等を購入しました。

 

十輪院は本尊が花崗岩に彫られた石仏龕(がん)。本堂は拝殿のような役割になっています。

松本清張曰く「ここは仏様のデパートのようなものだ」

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