高知市上町から山口県下関市竹崎町までの坂本龍馬の「脱藩の道」は、後世の者が付けた便宜的名称で、正式な街道名は別にあります。
①高知市思案橋番所~雁切の渡し=西道筋(明治以降「土佐西街道」と呼ばれる)
②雁切の渡し~佐川町斗賀野=佐川往還(俗称)
③斗賀野~津野町姫野々番所=葉山街道(通称)
④姫野々番所~梼原町中心街=梼原街道
⑤梼原町中心街~愛媛県内子町宿間=大洲街道(俗称)
⑥内子町宿間~大洲市江湖までは川下りのため、名称はなし。
⑦大洲市長浜港~山口県上関町上関港~防府市三田尻港も船便。
⑧三田尻御茶屋招賢閣~八幡宮常夜燈=華城街道(仮称)
⑨八幡宮常夜燈~大崎の渡し=中関道
⑩大崎の渡し~下関市旧永福寺門前一里塚=山陽道
⑪旧永福寺門前一里塚~白石正一郎邸=竹崎道(俗称)
[須崎廻り説ルート]
①思案橋番所~須崎市須崎番所=西道筋
②須崎番所~梼原町中心街=梼原街道
防府市中心部の脱藩道については、藩政期の絵図や明治期の地形図、地域の歴史文献、現地に残る道しるべ等を考慮し、ルートを確定。
郷土史家の中には、招賢閣から萩往還を北上し、山陽道に合流したのではないかという方もいますが、それではあまりにも遠回りになり過ぎるため、現実的ではありません。
山陽道の終点は亀山八幡宮東の船番所ではないかと思っている方もいるかも知れませんが、それは飽くまで、九州に渡る際の終点のこと。
二枚目画像の絵図を見ても分かるように、更に街道は西へと延びています。
藩政期の永福寺は、山口銀行旧本店辺りにありました。
来年一月、高知県立坂本龍馬記念館では、現代龍馬学会のパネル展を行う計画で、そのパネルでの研究発表者の中に私も含まれているのですが、この高知市から下関市までの坂本龍馬の脱藩道に関するパネルを作ろうと思っています。
高知市の坂本龍馬生家跡から下関市の白石邸跡まで、実際に歩いて踏査した龍馬研究家は、私以外にいないのですから。
四国内の脱藩道の詳細ガイドは拙著「龍馬が辿った道」を。山口県内については「長州・龍馬脱藩道」を。
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