貨幣発行特権 = 打ち出の小槌、みたいな話もあります。
これは一部分では正しい。
お金の為になら働く、もっと言うと、円を得る為になら働く、そんな人達が世界中にいるからです。
だからこの打ち出の小槌によってお金をばら撒くなら、それを受け取った日本人は他人から色々な事をしてもらえるようになります。
ここからこれの危うい点も指摘できるのですが、今回はこれがもつヒントの様なものを抜き出してみたいと思います。
●お金の為なら動く。
↑
こういう人が大勢いる、というのがポイントになります。
今は国土改造計画というものもあるようですが、本当にこういうのも可能なんです。
理由は簡単で、お金目当てで動くと思われる人が相当いるはずだからです。
おそらくは、すさまじいまでの大改造でも可能でしょう。
どれくらいの事が可能か、リセットボタンでもあるならぜひとも試してみてもらいたいくらいです。
ただ、ばら撒いていればOK、ではさすがに幼稚です。
また、そういう論調の人の話の中からおかしな所を探すのもさほど難しくない。
例えば、緩やかなインフレが続くから・・・・・、といった部分などは明らかに欠陥を抱えています。
そもそもこういう話にハマる人の方が珍しいんです。
賛成の人達だけが騒々しいから反対が少ないように見えますが、話を聞いてアホらしいと思いつつ黙っている人の方が一般的なのです。
しかしそれでもばら撒けという提案は評価に値します。
何というか、出てこなければいけない意見だった、というような所があるからです。
応用も出来ます。
●皆がお金の為に動き、そうすると社会が良くなる。
↑
こういう方向性でいくとして、なにもばら撒きだけが唯一の手段というわけでもありません。
例えばこういう提案が出せます。
①増税するという脅しをかけておく。
②抜け道を作っておく。
③大勢をその抜け道に誘導する事でコントロールしていく。
具体的にどういう政策になるかというと、
①相続税をがっつり取ると宣言しておく。
②ただし資産や収入に見合う家や家具を買えば相続税免除。
③多くの人は貯金通帳の数字ではなく、家を子供に残そうとする。
↓
結果として、家や家具を作る仕事が増えて就職難が改善。
さらには、綺麗な家が沢山立って日本が綺麗になる、となります。
ようは、お金を得るために動く人達であれば、お金を取られない為にも動くのです。
そして動いてくれるならどちらでもいいはず。
ならば良さそうな方を選べばいい。
幸い、と言っては変ですが、本当にみんなお金目当てで動いています。
例えば、
大勢を雇う、
その大勢に賃金を渡す、
その大勢に生活必需品を作らせる、
こういうのだって全部そうした方が儲かる人がやっている事です。
お金の影響力というのはすさまじいほどなんです。
で、これは逆手にも取れます。
『介護の仕事をすればお金をあげますよ。』
『介護の仕事を負担しないとインターネット税を取りますよ。』
どちらでもお金が大切な人達にとっては同じ事です。
ちなみに、ばら撒きの方は下手をすると将来のニートを増やす事になるんです。
かりに親が国土改造計画の為に汗水を垂らすとしましょう。
それで貯金を増やせばそれはいずれその人の子供に回ります。
そして、働かなくてもいいなら働かなくなる人が増える、これはもう解っている事のはずでしょう。
あまり調子に乗ってばら撒いていると、働かない人が増えて需要と供給が安定、なんていう事態にもなりかねない。
よって、一切ばら撒くなとまでは言いませんが、これとは別にコントロール方法があるなら便利です。
将来を考えながら選べる選択肢のようなものが増えます。
良い例えになるかどうかは解りませんが、蛇口が二種類あった方が便利なようなものです。
最後に今回の話に関連したことをちょっと書きたい。
まがりなりにも考えの違う学者達が批判をしあってきて、おかげで全体像が見えてきています。
経済の話は以前なら大昔のキリスト教と同じでした。
一部の人達だけが解る、そんな話でした。
大昔の人達にラテン語が読めないのと同様に、専門用語だらけの経済の話もわけが解らないものでしたから。
しかしもうこれが違ってきています。
それぞれの批判を見る事により、裏側のようなものが解るようになっています。
こんな中でもまだ多くの人が遠慮しています。
この遠慮がいらないんです。
経済に詳しい人達なんて、結局は経済学学者でしかなかったのですから。
例えば、
みんなが物より金を好んで貯蓄するから不況になるというのだが、そんなことはありえない。
こんな事を書いているアホがいました。
次回でこのへんの学者達の頭の悪さについて取り上げたいと思いますが、一つ言っておきたい事があります。
それは、
常識 > 経済学の常識
ということです。
これはぜひ強調しておきたい。
ケインズ政策の考え方、また、ケインズを批判する考え方、これらにしても全てを経済学者が出してきたわけではありません。
そこから離れた立場にいる人から出てくる知恵もあったのです。
元々は経済の専門家ではなかった、なんていう人も大勢います。
経済学の常識ではなく、常識で考えてきた歴史の方もあるという事です。
これを考えるなら、一部の学者達に経済を考える事を任せっぱなしだった事の方がおかしい。
だから、繰り返しになりますが遠慮する必要はないんです。