私のNECのラップトップ(Laptop:ノートPC)の調子がいよいよ悪く、ミランの古いやつを借りてます。
ミランのラップトップの方が大きく古いはずなのに(ニュージーランドに居るときに中古で購入したTOSHIBA)、軽いし動きが早いんです
びっくり
彼はチェコでトラックドライバーになる以前は大きな会社のコンピューター関連の保守を一人でこなしていたそうで、車だけでなくPCの修理や簡単なプログラミング作業なんかも出来るんです。
なのでこのラップトップもいろいろ改造されてるようです。
私はよく分かりませんが。。
ニュージーのテプケに住んでいたときは修理用工具なんかも揃っていたんですがニュージーを出るときにほとんど売ってしまったし
アパート住まいなもので工具がなく、しばらく修理はおあずけ。。
。。。
話は変わりまして。
ちょっとだけ昔話を。
私は幼い頃から、勘は良いだろうことは気づいていました。
でも運動や音楽といったセンスというものは無いと思っていました
体は何をするでもなく柔らかかったので、その柔軟さと勘だけで体育の授業を乗り切っていました。
でも基本的に私は体育が得意な方ではないと思い込んでいたんです。
社会人になり、機会あって友人たちとテニス対決をしたことがあります。
相手は大学のときにテニスサークルに入ってたとか言うしハハ
元々自信ないのに、無理って思うでしょ
それが私の圧勝だったんです
自分でびっくりしました
バレーボールならともかく、テニス・野球・卓球とかいう、物を介してボールに当てるスポーツは特に苦手意識があったので本当に驚きました。
このときもやっぱり目測誤って空振りが多かったし
それで友人たちに言われたんです。
「こばちはテニスの経験がどうこうじゃなくて、運動神経だけでボールを打ち返してくるよね」
このとき20代後半。
アラサーになって初めて、自分はそれほど運動神経は悪くなかったということを知ったんです。
そういえば運動に自信を持てなかったのはマラソンがどうにもこうにも遅かったことでした。
つまり、単に根性が無かっただけという。。
で、思ったんです。
もしももっと若いときに運動に自信をもうちょっと持てていたら、もっといろんなスポーツを楽しめていたんだろうなー
そうすると私の青春はガラッと様変わりしていたんだろうと思うんです。
体育の授業も、本来ならもっと楽しかったはずなんです。
自信がないとうまくいってもマグレだと思えちゃうし、積極的に行動しようとは思えないですもんね。
何が言いたいかっていうとですね。。
自信なんていくらでも騙せるし、作れるし、どうにでもなるんです。
苦手に思って何かすることをつまらなく感じてしまうことはもったいないんです。
何をするでも初めのとっかかりは面倒です。
ルールを覚えたりだとか、設備や環境を整えたりだとか。
でもやるなら楽しまなきゃ損なんです。
その先に何かが生まれるかもしれない。
何も起こらないかもしれない。
それらはあくまでも自分の行動の結果に過ぎず、
何もしなければ何も起こらないんです。
自信がないから、苦手だから、嫌いだから、年だから、女だから。。
言い訳を見つけて何も起こらない道を選ぶか、
それらを一旦置いといて踊る阿呆になるか。
「面白いことないかな」と呟いてつまんない道を選んでいるのは自分かもしれません。
踊らなにゃ損ですね。
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