太陽 The Sun |  ◆ R I N G O * H A N

 ◆ R I N G O * H A N

歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー


air fish raid


血の通った人間ではなく、
まったく別のものとして扱われる、
こんな体験が幸いなことに私には まったくない。
幸いに、と私は自分の人生に 安堵しているけれど、
たとえば その体験が奴隷などの屈辱的なものではなく、
さながら太陽として民衆から拝められ、
高貴な身分と豪華な宮殿が生涯約束されたとしても、
私への接し方は腫れ物に触るような よそよそしさと、
虚しさを伴うものだ、そう想像するに容易く
だから私は庶民でよかったと安堵するのだ。
「人間ではない」
このような価値観のもとに
自分の身を置いたことがないせいだろう、
ソクーロフ監督の映画『太陽』を観たとき、
どうしようもない歯痒さを最初に覚えたのは。

日本では公開不可能だといわれた『太陽』。
観たいと切望して1年と半年
ようやく観ることができた映画だったが、
映画では登場する主人公の生い立ちや名前が
明らかにされないばかりか、
多くを語らぬ主人公に、初め私は物足りなさを感じた。
が、やがて それがヒロヒトという名の、
日本で生まれていながら名字がない男性の
私生活なのだと ようやく思いやることができた瞬間、
私は主人公の置かれた境遇に
深く同情し、いたたまれなくなった。
主人公には「意思」が国によって認められず、
主張も許されなかった、なぜなら
彼は人間ではなく神だから⋯。

自分で自分の人生を選べない、切り開けない
この悲劇、この意味を私は『太陽』で初めて、
ほんの少しだけ想像できたのかもしれない。
もしも・・・・もしも私があの人生だったら?
「よりにもよって何故、
 自分がその運命を背負わされるのか」
人間として、ではなく
太陽として生かされる宿命を前に、
「何故の嵐」に吹き浚われ、悶え苦しみ、喘いだ末、
ひょっとしたら私のような弱い人間は逆ギレし、
世を恨むあまり権限を振りかざし、
帝王として君臨してしまうかも⋯。恐ろし~!
「発言の自由がない」、
はて⋯? 人間として、これほどのストレス、
これ以上の屈辱があるだろうか。

映画の主人公は小柄で、素朴で、飾り気のない、
たとえば一国を動かすというより
学者、あるいは芸術家という
生命を見守る眼差しを持った人物で、
あるとき主人公は
たかがカニの生態を顕微鏡で覗き、感嘆する。
その生命力、その逞しさ、
真の尊さを熟知しているのであろう主人公は
「命」の平等を研究論文に替えて細々と唱える。
うっかりすると聞き逃してしまいそうなほど間接的で、
よもすると「これぽっちの反抗」に見えてしまうけれど、
主人公には自分の意思を主張する自由はなく、
こうするより術はなかったのだ。
なんて不自由な! このことに ようやく気付いたとき、
切ないものが込み上げ、泣けてしかたなかった。

「人間である」「個人の自由がある」
このシンプルな「元々のこと」が言えない環境は、
あまりにも歪んだ管理下だったと想像するが、
これこそ近代戦争の核であり、悲劇の根源だったのだ。
60年前に表現の自由はなく、当時、
一枚の赤紙で戦地へ強制的に送られた兵士と、そして
映画『太陽』の主人公も権力に翻弄された・・・
山高帽をかぶった愛嬌ある主人公が悲しい。

映画のなかで、
強く印象に残っているシーン。

東京にミサイルが次々に降ってくる
やがて、ミサイルは魚のように意思をもち、
戦火の街並を自由に泳ぎ回る。
美しい、
そう思った私がいた。
自分で自分が怖い、寒気を覚える。けれども、
このような闇が人間には必ず宿っている。
破滅を美しいと感じる部分が必ずあって、
それがいつしか野心となり、
やがて隣人への征服欲へと変わらないようにするには、
感動の交換を自由にできる時代であること、
そうして、愛し愛される人であることだ。

愛されている事実を自覚できるセンス、
これを持つものと持たないものがいる。
今一度、私は自分のセンスを信じたい。


★★★★★★☆ 7点満点で6点
無邪気で茶目っ気があって純心で、
夢を追いかけるアーティストのような、
不思議な魅力のある男性を、イッセ-尾形さんが名演。
「あ、そう」という口癖も何通りも言い方がある。

美しい映像、客観性。多くの人が賞賛するだろうが、
私も同じく、どれをとっても完成度が高いと感じた。
あくまで外国人の視線に撤そうとしているのも
日本人に課題を投げかけているようで好感がもてる。
膨大な下調べと資料のもとに、
この映画が脚色されていることも充分に伝わってくる。

「なぜ、ソクーロフは
 “太陽”をモチーフに選んだのか」

わすれっぽいところが日本人の長所で、
平和維持をはたせている要因だと思う、
けれど、監督・ソクーロフの国ロシアでは、
ごく最近まで表現の自由が認められなかったのだった、
ペレストロイカ。
この史実がスッポリ頭の中から抜け落ちていた私って
脳天気にもほどがある、と我に喝*

私の隣の席にいた青年は
やたら忙しくペットボトルを口に運んでいて
常に落ち着かない様子だったが、やがて、
zzzzzzz と軽やかなイビキが⋯。
能のような抑えた映画なので、
睡眠不足の人には辛い映画でしょう。
いやいや、というより今年で平成18年。
ということは昭和が終わって18年!
昭和の時代を知らない世代が本作を観ても、
主人公は誰か分からないかもしれない。
私はTVを通じて、
実在の動く主人公を目にしたことが何度もあるけど⋯。

映画館の入口前にある地下通路は
いかにも昭和の雰囲気で、向かいの居酒屋からは
魚を焼く煙と焼き鳥のタレの匂いがもれてくる。
開場前に ここで汗をふきふき並んだのが、
映画で描かれている終戦間近の様子とマッチし、
妙な臨場感があった。永く忘れられそうもない情景。

~大入り満員の銀座シネパトスにて観賞~






●映画『太陽』公式サイト
●観たいと切望していた1年半前の私の記事