【書評】伊集院静『受け月』 | うんちくコラムニストシリウスのブログ

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人の心を温かく包み込む、そんな文章を表現することを、私はここしばらくの間忘れていたのかもしれない。

そんな愚かで冷たい私には、伊集院先生の『受け月』が、まるで寒空の下帰宅した者を温かく出迎えてくれるスープのように感じられる。



さて、そんな前置きはさておき、この『受け月』は第107回直木賞受賞作品として知られています。

そして、伊集院静氏は、現在は女優の篠ひろ子さんの旦那さんであり、かつては夏目雅子さんの旦那さんでもあった方で、「モテ男」「最後の無頼派」の愛称で知られていますほっとした顔


感想ではないのですが、直木賞作品の「受け月」のラストを記して、レビューとします。

銀地に紫のちいさな袋(お守り)が、欄干の灯りに反射していた。こんなものにもどこか力があったのかと思うと、奇妙な愛らしさを感じた。


“吉田神社”と刺繍がしてある。白く結んだ糸がさやか(孫娘)のけなげな涙と重なった。

鉄次郎(主人公)はお守りをポケットにしまうと、吸いかけの煙草を川に捨てた。そろそろ帰ろうかとコートの襟を立てた。誰かに見られていた気がして空を見上げると、糸のような月がくっきりと浮かんだ。

耳の奥でまた沙や(妻)の声がした


「ええ。ですからね。その朝帰りの時に旅館へ送ってもらったんです。可愛い芸妓さんでしたね。四条の橋を渡る時に月が東に浮かんでいたんです。そ うしたらその芸妓さんが急に、いやあ受け月どすわ、と言われて、立ち止まって手を合わせたんです。私とさやかがどうしてお祈りをしているのと聞きました。 受け月に願い事をすると、願い事がこぼれないで叶うって言ってくれたんです。その時私、あなたもこんなふうに月をごらんになりながら、家まで歩いて帰られ たんだと思ったんです。朝の冷たい空気の感じって、ほんとによろしいもんですね」


いい加減に聞いていたと思っていた妻の話が、間近にいるように思い出された。

鉄次郎は空を見上げて、あれが沙やの言っていた受け月なのだろうか、と思った。なるほど月は何かを受けるように盃の形をこしらえている。

鉄次郎はしばらくその月を見つめていた。そして急に手にしていた紙袋を橋の上に置くと、月に向かって両手を合わせた。何を祈ればいいのか、わからなかった。取りあえずさやかの婿が回復するように祈った。


「ええっ……とですね」

鉄次郎は月にむかってぶつぶつ言いながら、他の孫たちの健康を祈った。こんなもんでいいのか、と思いながら、東亜の野球部のことを思い出して、これも祈った。こんなもんだろう……、と鉄次郎はつぶやいて、もう一度目を閉じた。それから月を見上げて、

「ちょっと注文が多すぎましたかな」と言った。

鉄次郎は紙袋を手にすると、ゆったりと歩きだした。すると家で待っている妻の沙やの顔が浮んだ。


――婆さんを忘れてたな。

鉄次郎は立ち止まって、引き返そうと思ったが、何か面倒臭く思えた。彼は橋の袂に映った自分を見ながら

「婆さんは近いうちに、どこか旅行にでも連れてってやろう」

とつぶやいて歩き出した。