『到来するものを思惟する』(二) | 内的自己対話-川の畔のささめごと

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ダスチュール先生とカベスタン氏の対談の第二章は、 « Heidegger, la question de l’être et du langage » というそのタイトルからもわかるように、ハイデガーが話題の中心である。先生は、フランスを代表するハイデガーの専門家で、その最もよき理解者の一人であり、ハイデガーについての著作も多い。

同章二十頁のうちの十四頁余りは、先生がハイデガーにおいてもっとも根本的と考える問題を巡っているが、それは一言で言えば、タイトルにもあるように、言葉と存在の関係である。これはまた先生にとっての中心的な問題でもある。この部分は、それ自体が全体として優れたハイデガー哲学の解説になっていて、全部紹介したいところだが、それはこちらもしんどいので、フランス語をお読みになる方は、是非ご自分でご覧になってください(「逃げたな」、なんて言わないでくださいよ)。

同章の残りの五頁余りは、ハイデガーの政治的関与についてのカベスタン氏の質問に答えている。特にナチズムとの関係というとてもデリケートな問題とハイデガーの民主主義の軽視という誤解を招きやすい問題とが取り上げられている。

前者は、フランスでも、一九八〇年代以降しばらく大いに取り沙汰された問題で、論者の中には、ハイデガーの思想はナチズムのイデオロギーそのものだという極端な意見とともにハイデガー哲学全体を断罪する者もいる。他方には、「神格化」とまでは言わないが、ハイデガー哲学を絶対視する忠実な「弟子」たちがいる。ダスチュール先生は、ハイデガーのナチズムへの加担そのものは決して看過されてはならない大きな「過ち」であることを認めた上で、ハイデガー本人を巡る証拠立てられた歴史的事実と当時のドイツの社会・経済状況等を考慮しつつ、ハイデガーの立場を弁護する。特に、戦後のハイデガー批判が、一九三九年から一九四五年までのナチスの大量虐殺の事実の肩越しに、一九三三年のハイデガーのナチス党への加入と同年のフライブルク大学総長就任を見ていることを問題視している。

その当時は、ハイデガーばかりでなく、後にナチス批判に転じるドイツ知識人たちの多くがナチスを支持していたこと(後に苛烈なハイデガー批判に転ずるヤスパースさえ、フライブルク大学総長就任演説をその哲学的含意において評価していた)。ヒトラーは、政権についた一九三三年から武力行使を辞さない好戦的態度を示していたわけではなく、一九三九年までは、むしろ社会主義者・平和主義者として振る舞おうとしていたこと。それゆえ、ヨーロッパに平和をもたらす可能性をもった政治家としてフランスやイギリスにも支持者がいたこと(フランスについては、哲学者のアランの例、イギリスについては、当時ドイツを訪問した際に、ヒトラーに「ドイツのジョージ・ワシントン」を見ていた前首相ロイド・ジョージの例が挙げられている。さらには、ユダヤ系アメリカ人で、当時パリに住んでいた詩人・作家・女性運動家ゲルトルート・シュタインは、一九三四年に、ヒトラーをノーベル平和賞(!)候補として推挙していたことが指摘されている)。当時のドイツ社会は工業の疲弊と株式の暴落で失業率が二五%に達していたこと。ハイデガーの社会思想は社会主義者のそれにむしろ依拠していたこと。これらの点を論拠として挙げながら、ハイデガーの立場をいわば相対化し、一方的な断罪から救おうとしている。

一九三四年に大学総長を辞任して以後も終戦までナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)員のままだったのも、彼のようにすでに著名な哲学者が脱党すれば、自分にだけでなく、家族にも死刑判決まで下されることもありえたからではないかと先生は推測する。その箇所を原文で引いておこう。

 

Et s’il est demeuré adhérent du Parti national-socialiste après sa démission et jusqu'à la fin de la guerre, n’est-ce pas parce que le fait de quitter le parti, en particulier pour un philosophe aussi célèbre qu’il l’était déjà, pouvait signifier jusqu’à un arrêt de mort pour lui-même et les membres de sa famille ? (p. 46)

 

私は、自分自身で十分に当時のドイツの状況を調べていないし、ハイデガーのテキストも読み込んではいないわけであるから、先生のハイデガー弁護論に対して反論などはとてもできないが、この箇所を最初に読んだとき、正直に言うと、先生が情況証拠を積み重ね、その弁護が冴えれば冴えるほど、逆にそれに説得されない自分を見出していたのである。それがなぜなのかをはっきりさせるのが、今後の自分の課題である。