クロード・レヴィ=ストロース『月の裏側 日本文化への視角』を読みながら(五) | 内的自己対話-川の畔のささめごと

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『月の裏側 日本文化への視角』に収められた二つ目の講演は、「月の隠れた面」(La face cachée de la lune)と題され、一九七九年十月八日~十三日にパリで開催されたシンポジウム「フランスにおける日本研究」(Les études japonaises en France)の最終講演である。

この講演の二年前にレヴィ=ストロースが行った六週間ほどの日本滞在は、「私の思考と生き方に、まぎれもない転換をもたらしてくれた」と言う。その頃、レヴィ=ストロースの研究室では、「労働の概念」についての研究を始めていた。この旅行もそのテーマに沿って、特に労働における人間と自然との関係の現地調査を中心に計画された。

その際のレヴィ=ストロースの要望は、「なるべく大都会を避けて、やや辺鄙な場所で仕事をしている職人や労働者を会わせてほしい」ということだった。その結果として彼が会ったのは、東京、大坂、京都そして隠岐の島にいたるまで、金沢、高山、岡山、その他の土地での、菓子職人、日本酒の杜氏、陶工、刀鍛冶、織物師、染織家、和服の絵付師、金箔師、木地師、(沈金から蒔絵までの)あらゆる技法の漆芸家、大工、漁師、邦楽の演奏家、さらに板前にいたるまでの人たちだった。

その時の印象から日本文化の特異性についての考察を、自分を「新参者」(néophyte)と控えめに規定しながら、展開していく。その最後の方で、他の文章でも繰り返しているから、よほど驚いたのだろうが、日本滞在中の次のような「発見」を記している。「工芸家たちが、鋸や鉋を私たちがやるのとは逆方向に、遠くから近くへ、対象から主体へ向かって使うという事実に驚きました」(56頁)。このことは、しかしながら、世界的に見て日本固有の特徴ではないことは、本書収録のもう一つの講演の訳者注(42頁)に指摘されているのだが、それでもなお、このような観察からレヴィ=ストロースがどのような結論を引き出そうとしているかという興味からは注目すべき箇所であろう。

この鋸や鉋の使い方についての驚きを記した直後に、丸山眞男の『日本政治思想史研究』に言及し、その英訳を読んで、「明治時代の初めに、日本が西洋と対等になろうとしたのは、西洋に同化するためではなく、西洋から自分をよりよく守るための手段を見出すためだったということが、よく理解できました」(56頁)と言う。この二つの事例の前に一言触れられている日本語の「いってきます」という表現の事例を合わせて、次のような考察を提示する。

 

遠心的な動き――西洋ではこのように認識されています――に求心的な動きが対置され、話し言葉、工芸技術、政治思想といった極めて多様な分野で、自分に戻るという驚くべき能力が発揮されています(56頁)。

 

自分をまず中心に置いて、そこから周囲の対象に向かって自己を拡張していく遠心的・支配的志向性が西洋型世界認識だとすれば、周囲の対象からさまざま要素を自分のところに持ち帰り、それらによって自己形成を図る求心的・受容的志向性が日本型世界認識であると言いたいのであろう。

ここから次のような帰結が引き出せるだろう。

前者においては、自己は独立した自律的で自由な主体として予め与えられているが、後者においては、自己はそれだけで完結したもの・自立したもの・独立したものとして最初には与えられておらず、周囲の諸対象との結びつきを通じて、それらを必然的な媒介として、もと居た場所に戻ってくることではじめて自己がそれらとの関係の中で、いわばネットワークの結節点のように形成される。つまり、自己は、環境との関係において可塑的な動的な形成過程の一契機にほかならない。