広島に原爆が投下されてから、
67回目の夏がやって来ました。


自分は、
物心が付いた時から、ずっと黙祷を捧げてきています。
おそらく、物心が付く以前も、手を合わせていた事でしょう。

「原爆の日」に関してのブログを読み返してみる。
去年、一昨年、一昨々年と。

黙祷中に願うことは、
原爆を受けた祖父母や親戚、広島の方々への慰霊と、
平和への思い。二度と過ちを起こさないと言う心。

東京に住み、早いもので15年が経ちます。
黙祷中に毎年感じることは、
なんて「街が騒々しい」のだろう。と言う事です。
黙祷をしている人など、殆どと言うか、
人口比率から言うと「全く」に近いぐらい居ないと言う事です。
今日が何の日なのか、知らない若者も多いのでしょう。


けたたましい工事現場や、人々の話し声、
小さな子供と散歩する、若い親子の声。
他にも、色々と気になる音はある。
「生活」を1分止めて、黙祷ぐらい出来るはずなのにね。

でも仕方がないのかな。ほとんどの方にとっては、
「喉元を過ぎていない痛み」だもんね。

体感していない上に、平和教育もなんとなくと来たもんだ。
そりゃ、原爆の倫理観や平和概念を、リアルに感じて貰うのは難しいよ。

俺は被爆三世で、今も毎日服薬している。
毎年書いているので、今さらどうって事はない。
これが現実なんだもの、放射能がDNAに刻んだ傷。
67年経った今でも。


福島の原発の事についても、全く同じことが言えます。
福島が何も解決していないのに、利権と政治的側面で、
原発を次々に再稼働している野田首相は、広島の平和公園に立ち、
机上の空論に過ぎない、彼の平和概念を展開するべきではない。
喉元を過ぎてしまった痛みと、歴史を携えている方々の前において。
うちの祖父の実家も、今で言う平和公園内にあったんだ。
野田くんよ、君がいま立って、軽薄な平和論を述べていた場所は、
原爆の放射能で命を絶たれた、28万人の方が眠っている場所だぞ?


事なかれ主義の日本人が行動に出ている。
これは本当に大きいし、大前進だよ。
みんなが、それだけ危機感を覚えているんだ。
毎週金曜日の夜に首相官邸前で行われているデモ。
10万人以上の人が、反原発・代替エネルギーへ、魂を震わせる。
全国においても、同じような強い動きがある。
いちいちブログには書いていないが、時間が許す限り、
俺も声を上げに行っています。

そんな国民たちの思いを「音」と言わしめる、我が国の首相。
幼稚園からやり直してきなさい。


今現在、福島県等に住まわれている方々の中には、
大変シビアな状況に置かれている方が多く居ます。
政治が国民を守ってくれない現状なのだから、
避難するのも、住み続けるのも、個人の選択に任されている訳です。
でも、そんな事を判断出来るはずがない。
わかっちゃ居るけど、仕事もあるし、故郷だし。

ただ、以下のエリアに該当しているならば、俺ならすぐに引越しますよ。
原爆投下から67年が経過しても、今も毎日服薬している、
被爆三世の俺の、あくまで個人的な考えですが。

$溝渕ケンイチロウオフィシャルブログ「365日の風景」Powered by Ameba


国際政治において、核武装をすることは、
交渉のテーブルにつける唯一の手段であると言われている。
常任理事国は、核保有国ばかりで、
それ以外の国が核を持つことを、常任理事国は決して許しません。
北朝鮮、インド、イラン、パキスタン等。

もはや、核ミサイルの応酬は、世界が滅びる事である。
なので核戦争などは起きようはずがない。

「核武装=戦争」ではなく、
「核武装=高度な政治手段」である意味も理解が出来る。

でも、どうしても倫理的に、俺はダメなんだよな。
医療でアイソトープを使うのも拒絶しちゃうぐらいなので。
それはもう、俺のDNAに刻み込まれた拒否反応だね。


厄介な物質を発見し、増幅させてしまったね、人間は。
戦争、政治、金、利権。
人間の醜い欲を全て満たしてしまう、まさに悪魔の物質。

戦争の無い世界?
それには核を無くすこと。

不公平で理不尽な国際政治?
それには核を無くすこと。

流れる巨額な金と、おいしすぎる利権?
それには核を無くすこと。


そんな地球に憧れる。
そんな人間社会に憧れる。