初めて来てくれた方のために、まずは、「シドモア」という女性について紹介します。


前回の記事でご存じの方は、ここを飛ばして先に進んでください。


春になると、ワシントンで「桜祭り」が開かれます」


これは、日米友好親善のシンボルとなっている大事なイベントです。


この桜祭りの始まりをたどると、「シドモア」といアメリカ人女性に行きつきます。

1885年、ナショナルジオグラフィック協会初の女性理事であったエリ


ザ・シドモアは初の日本旅行からアメリカに帰国し、公共施設・公有地庁のアメリカ陸軍管理者に対して埋め立てが行われたポトマック川河畔沿いに桜の木を植えることを提案した。この提案は拒否されたが、シドモアはすべての管理者にその後24年間提案し続けている

                       (ウィキペディア)


シドモアのこの提案が、全米桜祭りが開かれるきっかけとなりました。


明治時代に日本を訪れたシドモアは、桜の美しさに魅了され、このように褒め称えています。


「世界の花の中でも、サクラの花、日本の桜ほど愛され、褒められ、崇(あが)められている花は他にありません。それはたんなる国の花ではなく、清廉(せいれん)と騎士道と名誉の象徴であり、少なくても二000年の間、はためく情熱をもって尊重されてきた春の祭典の紋章(シンボル)なのです(シドモア日本紀行 講談社学術文庫)」


今回の記事では、彼女の目に映った明治の日本を紹介します。

以下のこの色の文章は、「シドモア日本紀行 講談社学術文庫」からの引用になります。


ちなみに、シドモアが日本にいた1885年には、こんなことが起きています(ウィキペディアからの引用)。

2月9日 - 日本人移民がハワイ王国 へ到着

3月1日 - 日本鉄道 : 品川線開通(品川 - 澁谷 - 内藤新宿 - 板橋 - 赤羽 )

3月30日 - 清仏戦争 : 仏フェリー 政府瓦解

4月18日 - 日本(伊藤博文 )と清国(李鴻章 )間で天津条約 締結

5月9日 - 日本銀行券 発行開始(拾圓券 )

7月16日 宇都宮駅で日本初の駅弁 を販売(にぎりめし2個+たくあん,5銭)

12月22日 太政官 制度廃止・内閣 制度創設


伊藤博文 が初代内閣総理大臣 に就任(第1次伊藤内閣 )


ここからが、シドモアの旅になります。

「日本の天皇について」


「欧州の君主や権勢を誇る王族は、日本の統治者・天皇に比較すると成り上がり者にすぎません。皇室は紀元前六六0年に初代神武天皇が即位して以来とぎれることなき系統を保っています。後代へ下って、現在の天帝の子孫。睦仁(明治天皇)は歴代系図から一二二代目となります」


タイやイギリスには国王がいて、タイ人やイギリス人と国王や日本の天皇のことを話すことがあります。


日本の天皇が125代目であることを話すと、大抵、彼らは「え?」と驚きます。


友人のタイ人やイギリス人は、「それほど長く続く理由が分からない」と言っていました。


これは、日本人にも難しい質問ですけど。

このことは、以下の記事でも書きましたけれど、日本という国の大きな特徴でもあります。


日本よ、これが日本人だ!「神皇正統記(北畠親房)からみる日本という国の特徴


鎌倉時代の北畠親房は、「神皇正統記」でこう書いています。

「わが国のみは天地開闢の初め以来今日にいたるまで、天照大神の神意を受けて皇位の継承はすこしもみだれがない

          (慈円 北畠親房 日本の名著9 中央公論社)

宋の二代目の皇帝(太宗)も、そんな日本をこのように言っています「『宋史』日本伝(岩波文庫)」からの引用です。

「その国王は一つの姓で継承され、臣下もみな官職を世襲していることを聞き、嘆息して宰相にいうには『これは島夷にすぎない。それなのに世祚(せいそ:代々の位)は遐久(かきゅう:は

るかにひさしい)であり、その臣もまた継襲して絶えない。これは思うに、古の道である」



「オニーダ号追悼碑」

この「オニーダ(オネイダ)号事件」については、日本史用語集(山川出版)やウィキペディアにもありませんでした。

そこで、以下のブログから、抜粋してこの事件を紹介します。


米軍基地ツァー参加記10~オネイダ号の悲劇



横須賀に、このような英文の記念碑があるそうです。

USS ONEIDA INTERNATIONAL PEACE MEMORIAL

The USS Oneida distinguished herself during the American Civil War
and foughtbravery in the New Orleans,Vicksburg and Mobile Bay Navel Battles.

It during the Mobile Bay Naval Battle where her heroic crew
earned 8 Medals of Honor.

During the Meiji Restoration she served the best interests of the United States
and the Emperor of Japan by having a part in putting down a Warlord uprising
near Osaka.

This is dedicated to the 115 Sailors and Officers of the USS Oneida whose lives
were lost in the service of their country.

May her legacy continue to inspire all Sailors;
past, present and future in the pursuit of freedom and international peace.

"Greater love has no one than this; to lay down one's life for his friends."

John 15:13

Memorial maintained by Yokosuka Chief Petty officer's Mess

Erected 2007


「オネイダ号は、南北戦争始め幾多の功績を挙げた栄誉ある船でしたが、1870124日、滞日のあと東京湾を出航したとき、横須賀沖でイギリスの貨物船「ボンベイ号」に激突され、その後15分の間に沈没しました。


碑の最後の言葉は、

「友のために命を投げ出すより偉大な愛:何物もこれに如かず」
ってとこでしょうか。」

「このとき、水兵、海兵隊員、そして中国人を含む115人の全乗組員は死亡し、そのうち回収された遺体はわずか3体だけであったそうです」



 この水死した乗組員を発見した日本人が、池上の本門寺に追悼記念碑を建ててました。

そのことに、アメリカ人のシドモアが感動しています。

 そして、次の文は、シドモアが本門寺の追悼式に参加したときの様子です。



「どんな国も、どんな宗教も、これに勝る経験をさせてくれたセレモニーは、ほかにありません。この勤勉な日本の仲間、漁民や作業の示した敬虔な行為、慈愛、雅量、そして物惜しみしない姿を米国人は深く心に刻むべきです」



 この「オニーダ号」のことを知ると、「エルトゥールル号」を思い出します。


エルトゥールル号とは、オスマン・トルコ帝国の軍艦で、1890年(明治23年)に、現在の和歌山県沖で沈没しました。

このとき、500名以上の犠牲者が出ています。


これが、「エルトゥールル号遭難事件(エルトゥールルごうそうなんじけん)」です。

このときの日本人に対応を、ウィキペディアから引用します。

「通報を受けた大島村(現在の串本町)樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。この時、台風により出漁できず、食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど、生存者たちの救護に努めた。

この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69が救出され、生還することが出来た」



「沖村長は県 を通じて大日本帝国政府に通報した。知らせを聞いた明治天皇は、政府に対し、可能な限りの援助を行うよう指示した。各新聞は衝撃的なニュースとして伝え、義捐金・弔慰金も寄せられた」

「またこのとき新聞を通じて大島村民による救助活動や、日本政府の尽力が伝えられ、当時オスマン帝国の人々は、遠い異国である日本と日本人に対して、好印象を抱いたといわれている」


この事件は、結果として、日本とトルコの友好関係が深まることになりました。


エトゥールル号遭難事件でもオニーダ号の事件でも、場所が変わっても、日本人は変わらないな、と思わされます。


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