広島には11月18日〜23日まで5泊6日しました。
18日 仕事のリハーサル後、広電に乗り街をぶらぶら。
ショッピングビルで開催されていた黒田投手の写真展を見学。
市民に愛されているのがすごく伝わりジーンと来ました。
19日の仕事後
胡子神社周辺で行われていている胡子大祭へ。
胡子大祭は浅草の酉の市のように商売繁盛を願い、熊手を買うならわしがあるそうです。
広島名物樽募金!?
ならぬ樽賽銭!!!
熊手いっぱい売ってます。
熊手の事をこちらでは「こまざらえ」とも言うそうです。
私も小さいこまざらえを買いました。
20日の仕事後
平和大通りで開催されているイルミネーションへ。 平和大通り、道幅が広くてのんびりと歩けるのが素晴らしいと感じました。 この日の夕食はホテルの近くにあったカレー屋さん こちらのお地蔵様は爆発地点がちょうど真上だったため形が残ったそうです。 公園内のインフォメーションを兼ねているレストハウス 当時は燃料会館だったそうです。 レストハウスの方にお願いをして地下室を見せて頂く事に 当時のままなのでヘルメットは必須です。 その後資料館へ 追悼平和祈念館 入場規制がかかっていたのでフェンス越しに雰囲気だけ楽しみました。
通りがイルミネーションで埋め尽くされていて幻想的な世界でした。
牡蠣フライカレー
スパイスたっぷり。ゴーゴーカレーのような濃いカレーで美味しかったです。
21日
平和記念公園に行きたくて、仕事の次の日をフリーの日にしました。
とても暖かい日だったので、のんびり公園内を見学。
こちらに来たのは6年ぶり。
しかし以前の記事にも書いてある通り、じっくり見れたのは今回初めて。
爆心地となった病院
修学旅行生がいっぱいで、子供たちのはしゃぐ声を聞くたび平和を噛み締めるのでした。
こちらでも多くの犠牲がありましたが、唯一地下室に物を取りに行った方1人だけが助かったそうです。
時間を当時に戻されたような、そんな佇まい。
ちょっぴり辛くなってしまいました。
でもこうして当時の様子を肌て感じる事は本当に大事な事
祈りを捧げて、守ってくれた地下室に感謝。
外国人観光客がいっぱい。
展示や資料を見るのも一苦労なほどギューギューでした。
その日食べるはずだったであろうお弁当。
持ち主のお母さんが見つけたそうな。切ないです。
たった3mの原子爆弾が一瞬にして世界を地獄と変えてしまう…。
本当に恐ろしいです。
貞子さんが大事にしていたこけし
焦土に咲いたカンナの花
〜その秋「75年間は草木も生えない」といわれた広島で新しい芽が息吹きました
焼け跡によみがえった緑に人びとは生きる勇気と希望をとりもどしました〜
焼け跡によみがえった緑に人びとは生きる勇気と希望をとりもどしました〜
オバマ大統領の展示
オバマ大統領が折った鶴
核弾頭の保有数と核実験場
死没者への祈りの場所、そして平和と戦争についてゆっくりと考える時間をくれた場所でした。
この場所に来れてよかった。
気づいたらこの日は7時間も公園にいました。
夜はホテル近くにある温泉へ。
音戸温泉といってビルの2階にある温泉。
なにやらパラダイスな予感。
自宅の庭から温泉を掘り当てる根性はすごい。
良いお湯&近所のおばさま方とも仲良くなれた憩いの場所でした。
最終日の夜にようやくこちらを食べました。
11/22
帰る日の朝
朝日と広島城を拝み、空港へ。
いざ、仙台!
とおもいきや、、
なんと、この日朝早くに東北で大きな地震があり、津波警報が発令され、仙台行きの飛行機が欠航となっていました。
(実際にわずかながら津波が来た場所もあったそうです。。)
地元が心配でしたが、どうする事も出来ないのでこの日は再び広島を楽しむ事に。
船に乗って宮島へ。
島に到着し、さっそく鹿に会えました。
名物しゃもじ
穴子も名物
有名な厳島神社の鳥居
海の上に浮かぶ神社。
海の上に浮かぶ能舞台
紅葉は終わりかけ
美しい島でした
思わぬもう一泊におニューのこちらをおろすはめに
11/23
今度こそ最終日
朝は広島城へ
てっぺんからの眺めはとても綺麗でした。
武将隊の方がお舟に乗ってらっしゃいました。
その後
こちらへ
私の大好きな野球場。
この日は広島カープのファン感謝祭!
さすが優勝しただけあって超満員です。
帰りもすごい人!
慶彦さんのモニュメント発見!
赤いローソン初めて見た
そんなこんなで、広島ではお仕事もさせて頂き、さらに広島の色んな顔を満喫させて頂きました。
広島は力強い街だと心底感じました。
そしてみんなみんな広島を愛していろんだな、と。
かっこいいし、憧れる街です。