意外ですが、韓国の5/5、子供の日は、日本の端午の節句とは関係がなく、まったく別の文化的背景があります。
日にちが同じために、私も韓国に来た当事は、日本の「子供の日」と、韓国の「オリニ・ナル(日)」の起源が同じであると錯覚していました。これもまた日本統治時代の名残なのではないかと…。
でも実際は、日本の「子供の日」は、「端午の節句」が「菖蒲(しょうぶ)の節句」とも呼ばれて、その「菖蒲」と「尚武(しょうぶ)」を引っ掛けて、鎌倉の武家時代以降、男の子の健康祈願を祝ってきたという日本独自のもの。いっぽう、韓国の「オリニ・ナル」制定には、「東学(現在の天道教。開祖・崔濟愚)」という韓国の宗教が関わっているのでした。
東学は、日本では「東学党の乱」で知られ、とてもよくないイメージですが、しかし、その乱自体は、東学の思想とは関係がなく、全琫準(ジョン・ボンジュン)という東学信者が引き起こした民衆運動(韓国では「東学農民運動」という)であって、最初は東学の教祖も止めようとしたのでした。
東学の思想の中心は、「人乃天(人すなわち天)」といい、人間はすべて神様だと考え、特に長い間さげすまれていた女、子供、庶子などを、天のように貴い存在として、完全な万民平等を唱えたのです。特に2代目教祖の崔時亨(チェ・シヒョン)が、「子供を叩くなかれ(勿打児)、なぜなら子供は神様だからだ」といいました。
そして、3代目教祖・孫秉熙(ソン・ビョンヒ)の婿であった方定煥(パン・ジョンファン)は、「子供」を表す本来の韓国語である「아이」ではない、「어린(幼い)+이(大人、人)」=「オリニ」という言葉をつくり出し、子供をむしろ「大人よりも先駆けた人」と考えて尊重する「オリニ思想」を唱えたのです。それはまさに世界に類例のない、時代を先駆けた児童人権思想でした。
この卓越した児童人権思想家・方定煥によって、1922年5/1に制定されたのが、韓国の子供の日「オリニ・ナル」です。当時は5/1だったわけです。
現在では「オリニ」という言葉がすでに「子供」を表す一般的な単語にもなっていますから、「子供の日」でもあるのですが、しかし正確には「幼い大人の日」なわけですね。この祝日は、日本統治下で一度中断していますが、独立後の1946年に復活。その時に日付を5/5に定めたのでした。
ソウルの仁寺洞(インサドン)通りから、途中の路地を東向きに入って、現れた階段を上った所に、異国的な赤い建物「天道教中央大教堂」があります。その正門横に、「世界オリニ運動発祥地塔」があって、その裏に方定煥のオリニ憲章の美しい文章が韓国語で書かれています。私の好きな言葉です。
「大人が幼い人(オリニ)を押さえつけないようにしよう
30~40年、後れた昔の人が
30~40年、先駆ける人の足を引っ張らないようにしよう
古い人は新しい人のため
支え立ててその後ろに従ってこそ
明るい所に出て行けるのであり
新しくなり得るのであり
墓場を避けられるのである
―― 1930年 方定煥」
【天道教中央大教堂のオリニ運動発祥地塔の位置】
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