外国に旅行すると、いろんな現地の人から、ファースト・タイムかと訊かれる。それは初めてかということで、はいと答えると初心者だからとタクシーは遠回りされたりボラれたりして厄介なことになります。それだから、わたしは嘘をついて、サード・タイムぐらいに返事しておきます。そうすると、旅慣れていて、現地を知っていると乱暴なことはしません。

 いままでいろんなところに旅行に行きましたが、なにより最初の海外旅行が一番印象深く、カルチャーショックが大きかったように思います。いろんな人に訊いても、やはり若い時の最初の旅行の衝撃をよかったと語ります。年取ってからは新鮮味がなくなり、知識も経験も多くなるので、感動が少なくなるのは当然です。

 わたしが初めて海外旅行をしたのは、昭和51年の2月でした。24歳のときに、大阪は堺市のニチイで働いていたときに、労働組合の主催で子会社のトラベルジョイという旅行代理店を使い、当時としては破格のヨーロッパ10日間24万円という安さで行けるというので、わたしがまず乗りました。すると、同期入社で仲のよかった履物売場とインテリア売場の男子二人が行くということになり、それに家電部と紳士服売場の年上の女子が参加して、支店からは5人が行くことになりました。冬のボーナスがそれぐらい出たので、すべて旅行代金に注ぎこみました。それでも当時の月給の三か月分なので、まだ海外旅行は安くなったとはいえ、贅沢なものでした。いまなら60万くらいの金額でしょうか。いまのほうがずっと安くは行けるようになりました。1ドルは300円くらいの時代であったと思います。
 大阪から羽田空港まで国内線で飛び、そこから行きは南周り経由という寄り道が多いすこぶる時間のかかる経路でした。それはいまでもあるのか、あったらまた行ってみたいと思わせる長い長い寄り道ばかりの行道でした。パリとロンドンとアムステルダムの三カ国訪問で、初めてパスポートを取り、スーツケースも初めて買いました。添乗員付きでしたから安心です。それで観光も初日の各都市はついていて、朝飯は簡単なものでしたがホテルでつきました。二日目からは各都市の自由行動が一日ずつついているので、それもまた楽しみで、自分たちで好きなところに行けます。
 羽田空港にニチイ各支店から集合して、チャーター便で行ったのか。飛行機の座席の隣に座ったのが、可愛らしい女の子二人で、四国は松山の支店からの参加だと挨拶しました。その子らからさっそくおやつが差し入れられ、その縁で帰りまで一緒にフリーの時間は行動することになりました。その子の姉夫婦も同行していましたが、姉という人からエスコートしてほしいと頼まれたので、わたしらの仲間として、モンマルトルの丘の夜景を見ながら呑んだときも、ロンドンのディスコにも連れて行きました。なんとなく、親しくなり、一緒に撮った写真はいつもべったりといる場面でした。それでも帰ってからの交際も遠いので、電話はよく店にかかってきていましたが、どうしているのかなと、それからたまに思い出したりしていました。
 
 南周りというのは、飛行機を何回も変えます。覚えているのは、複雑なルートで、どうしてそういう面倒な経由にしたのか判りませんが、使う航空会社が安いからでしょうか。
 まずは、ソウルの金浦空港に入りました。そこから台北に寄り、香港でみんな乗り継ぎの時間が半日もあったので、半日観光をします。観光バスも用意していて、市内観光であちこちに行きました。ビクトリアピークの100万ドルの夜景も見て、タイパックの船上レストランまで手漕ぎの小舟で行き、中華料理のコースをいただきました。そういうのはオプションになっていて、確か2千円と安かったので、現地徴収されたと思います。
 香港からインド航空の小型の旅客機で、飛行機の天井と壁が揺れるたびに動くので心配しました。カルカッタで給油し、そこから今度はクエートに飛びます。そこでも給油で2時間くらいはあったのか。砂漠の中にある空港のようで、夜ばかり飛んでいたので、景色は判りませんが、遠くにいくつもの油田の煙突が立っていて、それから炎が上がっているのが見えていました。2月の東京から、砂漠の暑い国に来て、みんな空港まで飛行機を降りて、歩いてロビーなどをただ見て回りました。夜中でもカレーみたいなものを食べさせる店はやっていました。待合室ではターバンを巻いた客とも思えない男たちが坐って、わたしらを見ていました。わたしはダッフルコートを着て行きましたが、とにかく暑くて、シャツの長袖をまくって半袖にして空港の中を歩いていました。
 スイスアルプスの上空を飛んだときにようやく朝日に追いつかれました。アムステルダムに着いたのが朝でした。それから、パリに飛行機を乗り換えて飛びます。オランダはまた最後に寄る街でした。
 大阪の伊丹空港を出てからいろんな飛行機に乗換えながら、36時間かかってパリに到着です。飽きてしまうくらい時間がかかりましたが、面白い旅の思い出として残っています。