今日から東京名物神田古本まつりが始まる。11月3日までの期間で、毎年そうなのだが、神保町の古書街の通りは100万冊の特価本の販売台や本棚が並ぶ。
 いつもの年なら、古本マニアの顔でセドリに出かける客として、わたしも熱くなる。今年は売る側にいた。全国の商店が東京銀座に店を出すのが憧れであったように、古本屋は神田神保町に店を出すのが夢という店主もいるだろう。わたしはそんなとこはなく、なんとなく成り行きで、三省堂さんとスーパー源氏さんのお世話になって、本棚で出店した。
 何日か前に、三省堂書店の四階にある古書部に、本棚ひとつだけだが、林語堂の名前が出た。酒と食の本というグルメだけを出品してみた。担当の方ともいろいろと今後のことを話した。文庫本は別で他の古書店さんと同じ文庫の本棚に並べられるという。いま少ない文庫本は岩波文庫の緑帯だと、うちで持っているかどうか訊いてこられた。探せばあるだろう。それと足りないものを聞いた。推理文庫や中公文庫は多い。他店が集中するものはどうしても同じ傾向になりがちだ。うちでは隙間を埋める本を持ってくることにしよう。競合が激しいと、同じタイトルの本も揃い値段の喧嘩になる。かといって、ニッチを目論めば売れない怖さはある。ポケミスもうちにはいっぱいあるが、そこでも棚にずらりと並んでいる。
 神田はジャズの町でもある。ジャズの本ならひと棚はできそうだ。それも聞いてみる。映画関係の本は結構あるので、音楽はどうか。そこは試行錯誤の実験の場でもある。田舎では売れないが、都会ならどうか。売れ筋は違うだろう。女子社員さんが、うちにハガキが来ていると、持ってきた。三省堂の林語堂宛となっている。どうしてここを知ったのだろうか。まだ誰にも教えていないが、古書目録に出店のことを書いたから、それで問い合わせが来ていた。

 お隣の三省堂アネックスビルの四階にはスーパー源氏さんで出している全国の古本屋さんのフロアがあり、そこにはすでに青森県関係の郷土本を並べて売っている。いろんな媒体でお知らせしているので、わたしがそこにいるものと思い、青森のお客さんたちが、訪ねてきていたという。下北の先生は、そういえば、わたしを探して店に行ったらいなかったと言っていた。棚貸なので、お任せで常駐はしていないと教えないといけない。出店というからややこしい。ほんの一棚だけのものだから恥ずかしい。

 本館と別館の両方ともに言えるのは、古書をあまり置いていないということだ。戦前の本は見当たらないので、うちではあえて青森から送らせて、それも別の棚に並べて置いてみた。紫式部の社長さんとも話したが、古書はどこでも売れなくなったのか。古書会館の市でも中途半端な古書は安く落札できるのに、新しい本は逆に高めで落とせないくらいの値がものによってはつく。世の中がそうなっている。客もそういう古書には手を出さなくなって、売れないから、古書店もそれに合わせる。すべてが、同じ方向を向いているようだった。そこにわたしはひねくれおやじで、みんなが見る方角を見たいとは思わない。息子には、いまは安いから古書を買え。買って買ってうちの倉庫を埋めつくせと、そう言っている。それがゴミになるか史料として残るかは解らないが、紫式部の社長さんも、同感で、これからは古書も必要な時代がまた来るとそう話しておられた。新しい本こそ、電子化は進み、古書は電子化からは取り残される。
そういう読みは間違いだろうか。誰にも解らない将来の古書の行く末。このままでは、どんどんと廃棄されて文字の財産がなくなってゆく。

 ブックオフも本部に古書を集めてヤフオクで売るのだとか。そういう情報も入っている。一部の支店では古書も並べている。新しいピカピカの本だけでも勝負ができない時代になっている。新刊書店さんも古書部を設けて、新刊と古書と売るようになってきた。これは戦前の書店がそうであった。新刊書店で古書も売っていた。江戸時代からそうなので、いまに始まったことではない。

 地下鉄丸の内線に乗っていると、古本まつりの宣伝を流していた。美人の女優さんが、古書店のおやじさんに何か質問していた。おやじさんは、古本は鼻で探せと言う。地下鉄が神田川を走る景色が出て、地下鉄で神保町へどうぞということなのだ。
 神田はジャズの町として、昔からライブもやり、わたしが学生時代から、入口まで混んでいる店もあった。いまはどうか。昔ほどジャズ人口は多くないかもしれない。
 お茶の水からずっと楽器店も続く。楽器の町でもある。わたしも若いときは、そうした吊り下がったギターをもの欲しそうに眺めていた。当時でも8万もするクラシックギターを月賦で買ってしまった。三年払いでもバイトしながらせっせと払った。それはつい先日までネックの部分が壊れていたが、うちの古本屋で売っていた。知っている人がそれを買ってゆかれた。ヤマハのCG-7という、背に縦線が入ったやつ。45年経って、ようやく次の人の手に渡る。わたしはもうギターを手にするこみとはないだろう。
 それと、カレー屋さんが20軒あって、それぞれの味で勝負している店もある。古本屋さんでカレー屋もやられている店もあった。どちらが本業なのか。息子たちは食べに行ったが、わたしはまだだ。古本まつりに合わせてカレーまつりも去年はしていた。

 もうひとつ、古書街の並びにはスポーツ品店が並ぶスポーツ用品の町でもある。わたしの従兄が昔、大手のスポーツ品店に勤めていて、そこでスキューバを学生時代は趣味にしていたので、ウエットスーツも作った。体の線に合わせてきちんと測って作ったが、年と共に体型も変わり、着られなくなった。

 なんとなく、大学に通った四年間馴染んだ神保町だが、毎日のように講義のない時間は古書街を歩いて、どこの棚になんの全集があるか覚えてしまうほどであった。買う金はなかったが見て歩くだけでも満足で、たまに買っても店頭の特価本ばかり。当時の純文学書下ろしの単行本の定価は480円で箱入りだが、それとてバイトの時給では2時間分くらいはあったか。欲しくてもなかなか買えない。まして全集ものなどは、社会人になってボーナスをもらったら買いにこようと、狙っていた。確かに社会人になったら、貧乏学生時代の仇をとるように、古本の大人買いをした。
 通りの店はほとんど変わらない。店名も建物もそのままのところが多く、変わりゆく東京で、そこだけはいつまでも変わってほしくはない。